あなたのRQへのメッセージや思い出の写真をここに残しましょう。
RQに参加したボランティアが、震災後感じたこと、ボランティアに行くと決めたときのこと、現地で見て、聞いて、感じたこと、自分の場所に戻って、今ようやく考えられたこと、そのときは、鮮明に覚えていたことでも、日々の生活の中で記憶はどんどん薄れていきます。
これまでのRQがいったんその活動を終え、新しいRQが長期支援の活動を歩み始めた今、それぞれがあの日、あの場所で感じたことをメッセージや大切な写真とともに記録し、共有したいと思います。
*メッセージは200字程度まで。
*画像で表示された英数字4文字をキャプチャーコード欄に記入ください。
*写真を添付する場合は、「ファイル選択」をクリックするとデスクトップから画像をアップロードすることができます。
*投稿後は修正できません。「コメント送信」の前に内容を充分にご確認ください。
*投稿が正式に表示されるまでには1日程度お時間をいただくことがあります。また内容が不適切な場合は掲載されないことがあります。
*「ありがとう皆さん」への投稿もお願いします。
2011年の夏、高校二年生の頃、私はボランティアをしたいと思っていました。当時は、学生ボランティアの募集をかける団体がなく、ネットで探しても、中々見つかりませんでした。そんな中、BRUTUS Casaの「日本再生の参考書。」を読み、「RQ市民災害救援センター」を見つけました。登録方法も非常に分かりやすく、友人と二人で南三陸の歌津町に向かいました。
友人は東北被災地のボランティア経験があり、知識も豊富な学生でした。一方、私は被災地を5月に訪れたことがありました。しかし、当時は目の当たりにするのが精一杯でした。そのため、ボランティア経験のない私にとって、自分たち学生ができることは何かを考え、それをどのように行動で表現できるのか。それが私の問題意識であり、課題でもありました。
実際の現場では、電車や居住地が流された残骸が海辺の森林に残されていました。私たちはそれらを拾い、回収する活動を二日間行いました。無惨に打ち捨てられた残骸からは、当時の記憶も分かりませんでした。
そんな中、最終日に訪れた「RQ写真」を見て、その場で行きた人々の体温を感じました。現実を直視することはできなくても、写真という媒体を通して残された人々は、この場に人が生きていたことを、私に体感させたのです。それは、5月に被災地を訪れたときよりも、鮮明な記憶で残りました。
「RQ市民災害救援センター」での活動は、二日間という短い期間でありながら、様々な人と交流し、被災地の場所を考えさせる体験になりました。これからも、こうした原体験をもとに、自身の活動に活かしていきたいと思います。
最後に、RQでお世話になった皆様、ありがとうございました。
RQ関係者様へ
一年前、RQボランティアとして登米・気仙沼唐桑で従事させていただきました佐島謙司と申します。他に埼玉スーパーアリーナ、陸前高田、釜石で物資運搬・瓦礫撤去・足湯ボランティアなどとして従事させていただきました。大変RQの皆様にはおせわになりました。今回投稿させていただきましたのは、
1、最近一年前の状況を思い出すことが多くなり、その気持ちを理解していただけるボランティア経験者の方と交流したい、あるいは現在までの支援活動の進展状況を聞きたいという気持ちが強くなってきたから
2、埼玉スーパーアリーナでお世話になった学生ボランティアの人たちに対してお礼の気持ちとして、これから真夏の被災地に行かれるボランティアの人たちに自分の体験を通して感じた気持ちなどを伝えたいと感じたから
余談になりますが、埼玉・宮城・岩手で体験したことは私の人生にとって、とても衝撃的で重く精神的ショックの強い体験でした。
ときにとても暑く身体的に負担がかかり、被災者の方のご遺体や体の一部が発見され、黙祷が行われることがあったという現場で瓦礫撤去に従事させていただきました。
被災地から帰ってしばらくは気分が沈むことがありました。
私たちは沖縄の言葉「いちゃりばちょーでー」(一度会えばみな兄弟」という言葉や、隊長の「作業はあわてるな、あせるな、あきらめるな、ときにあきらめる」という言葉をバネにして瓦礫撤去に従事させていただきました。
私自身は「人は一人では生きられない」という言葉の意味も実感しましたが、必ずしも「1人1人の力も決して弱いものではない」と感じています。ボランティア体験を通して「人の本当の心の優しさ」を知りました。
学生ボランティアの方も「学校では学べないことを学んだ。今まで本当にちっぽけな世界に住んでいたことを知った」と話されていました。
長々とした文章を書いて申し訳ありません。機会がありましたらシンポジウムなどに参加させていただきたく存じます。ご案内よろしくお願いいたします。
佐島謙司
一年前、RQボランティアとして登米・気仙沼唐桑で従事させていただきました佐島謙司と申します。RQボランティアの皆様、現地の方には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
私は沖縄の言葉「いちゃりばちょーでー」(一度会えばみな兄弟」という言葉や、隊長の「作業はあわてるな、あせるな、あきらめるな、ときにあきらめる」という言葉をバネにして瓦礫撤去に従事させていただきました。あの時の体験は忘れません。
機会がありましたらシンポジウムなどに参加させていただきたく存じます。ご案内よろしくお願いいたします。 佐島謙司
今日はサイノです。
カンさん他みなさんのご好意により、思わぬ長居をしてしまいました。
RQ小泉みなさま、ボランティアの皆さんお世話になりました。
ありがとうございました。
6月22日から3日間でしたが、主にキッチンでお世話になりました。初めてのボランティアの申し込みで「団体」や「長期」「県内」など色々と制限の多いボランティア募集の中で「1日でも」「1人でも」と広く門戸を開いてくれていたのがRQでした。「短くても」と思っていた多くのボランティア希望者の受け皿になっていたと思います。一期一会で良くしていただいたみなさん、本当に有難うございました。
当初の立ち上げから活動に一旦終止符を打った昨年末まで、あなたの力なくしては翻訳チームは一日たりとも成り立ちませんでした。大勢の翻訳ボランティアを取りまとめ、意見を反映し、わたしたちが気持ちよく仕事ができるようにと、朝も昼も夜も仕事中も(笑)あなたが縁の下で尽くしてくださったさまざまな心遣いに、翻訳チームは全員感謝しています。KMさん、どうもありがとう。本当にお疲れさまでした。
前出のコメントの写真です。RQのデリバリーチームから大島への出発の日です。多くの人に見送られたあの日。デリバリーチーフの たにやんと 若き わたる と しょうへい がいます。
あれから病院通院支援を続けて7カ月、先日大島の消防隊の方が挨拶にこられ、例年だと20~30人ぐらいの12月の救急搬送が、今年は7人になったとお礼を言って下さいました。地震が起きて、皆さんがお気持ちをしっかり持たれた結果が大きいのでは思ったのですが、素直に嬉しいニュースでした。また、消防隊の搬送用の船も、雨ざらしから幌付となり少しは救急搬送の体制も整ってきたようです。僕のような個人活動での長期支援は考えていません。そろそろ3月での撤退を考えている今日この頃です。
今気仙沼大島に居ます。6月から始めた病院送迎の活動も半年が過ぎました。送迎患者数はうなぎのぼりの現状での年越しです。
スタート時点でのRQサポートがなければこのような広がりはありえませんでした。これからも以下の人達の気持ちを大切に届けていくつもりです。感謝です。
たにやん・ばーちー・れいちゃん・まっちゃん・やまべさん・河崎さん・明美さん・おいちゃん・やっさん・ゆっこさん・広瀬さん・国泰さん・佐々木さん・たかねえ・岩田さん・てるさん・わたる・しょうへい・もりさん・ショコラ・中垣さん・にしどん・さっちゃん・さや・ぐっさん・ひらさん
もう書ききれません。ありがとうございました。本当に。そしていつかまた何処かで会えれば。
”まだボランティアが行くのは邪魔になる”
こういうネガティブキャンペーンが広まっていた4月、地平線会議という、少々変わった活動の報告会で広瀬さんとガッキーのお話を聞きました。「支援が充分なのは石巻以南まで。それより北は全然足りない。誰でもいいから来てくれ」
すぐに飛んでいきました。
敷居の低さ、活動の多彩さ、居心地の良さから定期的に通うようになりました。
前半は河北で、後半は登米で。
拠点に向かうのを指折りに待つ日常。
秋からはバス送迎を任せていただきました。
3ヶ月で完全な休養は2日だけ。
でも疲れなかった。
むしろ平時の日常より動けた。
それはきっとRQのみんなからパワーをもらっていたからだと思います。
この一年、あの光景。
おそらく一生忘れる事はできないでしょう。
そしてこの団体、この人々。
僕にとってはかけがえのないもの。
滅しても生き続けるものです。
ありがとうございます、RQ。
スペイン語:野原 亜希子、金森 みどり、田部井 美雪、山下 アレクサンダー哲哉、玉川 恵美、伏見 由香、阪中 阿子、鳥居 由起子、廣田 大樹、Regidor Garcia, Antonio、真喜志 エリナ◇ドイツ語:相川 優子、Daniela Klein◇フランス語:須藤 秀明、竹内 理香、江口 優子、中島 のぞみ、井上 優子、村重 紀子、古川 奈美、大槻フローランス◇ポルトガル語:マルケス池田ノルマ仁美、飯塚 知将◇モンゴル語:ガナー◇英語:Kosumi Miyamoto Zwicky、杉田 晶子、川口 晶子、石井 智子、関根 実知子、江戸川 淑美、舟山 美緒、椎木 由記子、須藤 朋子、齋藤 美姫、向田 愛子、小野 久美子、太田 志保◇韓国語:イム・ジスゥ、リ・ウォンタク、武田 貴子、キム スジン◇中国語:山本 早苗、宮崎 さち子、徐 夢荷、宋 瑶、コン ジェイミー(以上100%の尊敬をこめつつ敬称略)◇そして翻訳サイトに初めの一歩を踏み出させてくれた木原千秋さん、ありがとう。
我らがボス山中さん、スマートな西村さん、緑の手を持つ渡辺さん、色白美人の栗ちゃん、文才溢れる塚きょん、鋭いツッコミの田村さん、お茶目で努力家の山崎さん、ハイセンスなまどかさん、 地図ありがとう森谷さん、冷静な仕切りの下園さん、いい仕事を早くする落合さん、感受性豊かなナタリー、イラストありがとう智美さん、リファインお疲れ様前谷さん、そして野中さん、折笠さん、浅原さん、みんあみんな素晴らしいサイト作りありがとうございます!あなたたちの一人欠けてもこのサイトはできませんでした。
震災があってから、ずっと何かしないとと思いながらも、何もできずにいました。そして、いまさら…という思いもあったのですが、少しでも何かできればと思い、東京本部に足を運んだのが10月。
そこからRQ東京本部でボランティアをさせて頂いた2か月間。時間にしたら本当にごく僅かで、正直力になれたかどうかわかりません。
それでも、東京本部、そして11月の初旬に行った歌津での、様々な人と出会い、経験、感じたこと、決して忘れません。
RQと出会えてよかった、皆さんと出会えてよかったと心から思います。ありがとうございました。
RQへ
RQのおかげでいろんな人と出会い、いろんなことを経験し、いろんなことを感じそして考えることができました。
鱒淵、小泉、歌津で暮らす人たちと出会い、人の温かさや強さを感じました。
登米で長い間受付を担当していて本当にいろんな人に出会いましたが、その誰もが「被災した地域のために自分もなにかできないか」という共通の想いを持っていたことが、自分にとっては驚きでした。そしてこの「共通の想いを持った人の集まり」というのがRQの特長であると思います。
RQを通してたくさんのものを得ることができました。
ありがとう、RQ。
RQ登米ボランティア まーしー
5月から登米にて参加させていただきました。テレビの向こうで見るのとは違い、目の前でその姿を見て体で感じた恐怖感を今でも忘れられません。毎月行く度にその姿を変える被災地。でも変われないものもあります。ジムニ君に乗り、初めてボランティアをした初心を忘れず、私はこれからも宮城で出会った被災された方々へ、心のボランティアを続けていくつもりです。RQがなければ、ボランティアへは行く事出来ませんでした。心から感謝しています。皆様ありがとうございました。
写真も送りたいよ!!
寒くなりました。風引引かないようにね。
3月 何もしないでいることが居心地が悪くて通い始めたRQ東京本部。東京は東京なりにいろんな人がとてもがんばっていたのだけど、4月中旬に初めて現地本部に行ったときに、そこはまったく違う緊張した世界が展開されていました。陸前高田市の月山神社で、短い期間でしたが、被災されたみなさんと寝食を共に過ごした日々が、私のこの大震災の原点といえるでしょう。現地のかた、ボランティアの方、RQがなかったら出会うことのなかったみなさんと出会えたこと、感謝しています。人間の力もすごいんだと、実感した日々でした。写真は月山神社方式の食器の洗い方。登米本部ではこの方法が取り入れられました。
RQがあったからこそ、ボランティア活動が充実したものになりました。拠点があること、仲間がいることのすばらしさ。
社協のボランティアセンターでは味わえない一体感の持てるボランティア活動ができたのは、RQがあったからこそです。
被災地ボランティアだけでなく、お年寄りの農家支援、漁業支援などなど、今後幅広くRQの拠点ができて、思い立ったらいつでもボランティアに行けるようになると良いなぁ~と思ってます。
初めてRQのボランティアとして活動させていただいたのは4月中旬、登米で1度、河北で月1度、11月まで毎月活動させていただきました。
3・11からずっと、何ができるだろうと思いつづけ、RQと出会い、何もできない自分でも少しでも力になれればという思いで参加しました。自分もいろんなことに思い悩んだ時期だったので、RQで活動できたこと、RQでつながった仲間との絆が、今の自分に大きなプラスに、そして財産にできました。これからもRQから形が変わろうとも、魂はそのままに、息の長い活動にかかわりたいと思います。
RQのみなさん、ありがとう!これからもよろしく!!
RQで出会ったみんなありがとう。ボランティアを通して色んな経験も出来たと思っています。ボランティアと言いながら学んだことのほうが多かった。これからもこの経験を色んな形でいかしていきたいと思います!!
「まず動こう」中学時代 担任だった教師がくれた言葉が、動くきっかけの一つでした。
RQを通して、色々な事を学んだ気がします。支えるつもりが、支えられていたことになりましたね。 ありがとうRQ。 また、みんなのご飯を作りに行きますね。
RQを通じて出会えた全ての方々へ、心からの感謝を。皆さんから様々な学びや気づきを得ることができました。
お茶っこでお話して下さったおばあちゃん、あなたから頂いた言葉たちを、私は生涯忘れません。ひとりの人間として、生きていく上で最も大切なこと、あなたが改めて気づかせてくれました。
ありがとうございました。
微々たる力かもしれませんが、私ができることを、これからもやらせて下さい。
RQでの経験を胸に、現在は青年海外協力隊としてケニアで活動しています。ケニアで東日本大震災のことを自分の言葉で話せるのもRQのおかげ。私が東北に行ってできたことは本当にちっぽけなことだと思いますが、RQでの活動から得た教訓や人とのネットワークをこれからも大切にしていきます。ぜひ2年後日本に戻ったら新しくなったRQの自然学校に遊びに行かせてください。
何ができるのか どうすればできるのか
自分にできるのか 考えているだけの毎日から
とりあえずやろう
に変えてくれたのはRQでした。
これななら続けられる 続けよう
と思わせてくれたのもRQでした。
ありがとう。 これからもよろしく。
9月と10月に 六日間と 八日間行きました。
瓦礫撤去作業は大変でしたが 思い出深い経験になりました。
RQボランティアに来る方々は 協調性や積極性があり
楽しい活動が出来ました。ありがとうございました。
不便さも 今の生活の見直しになりました。
牡蠣の養殖の手伝いは 忘れられません。
写真は もらい湯感謝祭…掲載済みでしたかな?
不都合でしたら…消してね。(^_^;
10月8日に気仙沼(小泉地区のがれき撤去現場近く)
で撮影した海岸の写真。
元々は、周りに松林があって、沖の建物は孤立していなかったのですが
津波により松林が流され、この形になりました。
がれき撤去作業の昼休みに、リーダーさんが連れていってくれました。
彼にとっても忘れられない風景で、作業したみんなにも見てもらいたかったとか。
メッセージ:自然の脅威は強い。けれどもそれに挫けずに東北の復興への想いを忘れない。。
震災直後に何か始めたくて「1km=10円運動」を始めました。その後、知人にアウトドア義援隊やRQの存在を聞いて3月下旬から西日暮里で物資仕分けや事務作業のお手伝いをしてきました。みんなボランティアなのに一生懸命で、日本人も捨てたモンじゃない!、、と思いました。RQのお手伝いができて本当によかった。いろんな人とも知り合いになれた。これからもできることは少ないけど、できることはお手伝いして行きたいと思います。RQのみなさん(スタッフもボラ参加の方も)お疲れ様でした&ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします!
RQに参加された皆さんのメッセージをお待ちしています。