一生懸命生きる。それが中瀬町の皆さんへの恩返し

OBOGインタビュー 松岡幸世さん

東日本大震災 RQボランティア 松岡幸世

RQ東北現地本部がある登米市旧鱒淵小学校。その校舎を4月から8月4日まで避難所にされていたのが南三陸町志津川中瀬町の皆さんでした。皆さんがお互いに、そしてRQとも交流できるようにと始まったのが「お茶っこ」(お茶を飲む)というボランティア活動です。この活動は「鱒淵チーム」と呼ばれ、約3カ月間、中心となって活躍してくれたのが松岡幸世さんです。

 

被災地に笑顔を届けに行きたい

 

ボランティアとして現地に入ろうと決断をするには、人それぞれきっかけがあるはずです。松岡さんにとってそれは何だったのでしょうか?

 

「笑顔を届けたい」ということでした。私自身、かつていじめにあったり、会社での人間関係に悩んだりしたことがあったりして、笑顔を取り戻すのに時間がかかった経験があります。その時間が長くなるほど辛いということが身にしみて分かっていたので、「まず動かなくては」「何かをしなくては」という気持ちでした。

 

RQとして参加する前にも、何度かボランティアとして東北に入られていたそうです。RQの活動なら「安心」して参加できたといいます。

 

RQのボランティアに決めたのは、無料のボランティアバスがあったことと、住環境がよかったことが大きな理由です。
RQに参加する前は、石巻で泥だしのバスツアー(テント泊)に四日間、有志の人たちと岩手の避難所慰問に二日間、歌津での炊き出しに一日半、ボランティアに行きました。
その後は一人で参加しようと考えましたが、石巻まではたくさんのボランティアが入っていましたし、自衛隊も来ていました。そこで石巻以北で活動の場を探したのですが、テント生活など女性一人での参加には躊躇するものばかりでした。
また、ボランティアに行く回数を重ねると交通費がかさみます。安く東北入りができる方法を探していた時、たまたま見つけたのがRQだったのです。無料のバスで他のボランティアたちと一緒に行き、施設内で寝泊まりできる。これなら安心できると参加を決めました。

 

松岡さんの活動は長期にわたりましたが、「鱒淵チーム」に一点集中で関わりました。ほかの活動拠点や、活動内容の選択もできたはずですが、そうしなかったのは被災者とボランティアという関係を越えた、深い人間同士のつながりができたためでした。

 

参加のきっかけが「偶然見つけたから」という極めて単純な理由であった私が、計約3カ月もの間活動を続けられた最大の理由は、やはり鱒淵チームだったから、の一言につきます。中瀬町の方々約100名が、現在RQが拠点としている鱒淵小学校の校舎に集団避難をされていました。 その隣にある体育館でRQが活動していたため、中瀬町の方々と交流すること、また中瀬町の方々同士のつながりをとりもつことが、私たちのチームの役割でした。

同じ行政区の方たちだけなのですが、全員が知り合いかというとそうでもなくて、RQが入ったことによって、避難されている方々同士がつながりをもつきっかけのひとつになったと思っています。ボランティアという、その地域に全く関係のない人間が入ることに意味もあるようでした。関係ない相手だからこそ吐き出せる本音もあるのでしょう。当事者ではない私たちが笑顔でいることが、皆さんの元気の素にもなったようです。

 

「あなたの笑顔を見ているだけで安心した」と言われ・・

 

活動を終了して東京に戻ってくる直前は、自分が本当に役に立てたのか?と漠然と不安を覚えたこともありました。でも、「松岡さんだから話せた」といってくださる方もいましたし、ある女性は「あなたがいつもにこにこ笑ってくれたことが、当たり前のことになっていた。それを見ているだけで安心した」と涙を流して言ってくださいました。一生大事にしたい言葉をいただきました。
真面目で四角四面すぎるボランティアではなく、冗談などにも笑って対応できるのが良かったのかな、と思ったりしています。中瀬町の佐藤区長には、登米の総務に長くいる新垣さんと私のことを「娘みたいなものだから」と言っていただきました。私が2度目のRQに参加した時も皆さん顔や名前を覚えてくださっていて。本来人見知りの私ですが、苦もなくすぐに入り込める穏やかな空気がそこにはありました。だから私にとって中瀬町の皆さんは、血の繋がらない親戚のおじちゃんやおばちゃんのような存在であり、子どもたちは小さな友だちです。だから、「被災者」という呼び方はどうしてもできないのです。

 

東日本大震災 RQボランティア 松岡 幸世

 

ボランティアをしたことで、松岡さんの中にも新しい気持ちが生まれ始めます。震災が奪ったものがある一方で、震災が起こらなければ気付けなかったこともあったようです。

 

震災があったために多くの命が失われて、このような避難所生活も余儀なくされてしまったわけですが、震災がなかったら中瀬町の皆さんと会えなかった。と考えると、不思議な感覚になります。私自身も震災をきっかけに自分の考え方に変化がありました。小さい頃は、20歳までに結婚して家族を持ちたいと考えていました。それが20代半ばには仕事が多忙を極め、このまま結婚できないのだろうという考えに変わりました。
でも今は、少し面倒に思えていた近所づきあいを含め、人間関係やつながりにあるあったかさを感じるようになり、結婚して家庭を築きたい、という気持ちに戻りました。震災がきっかけで一度職を失ったのですが、自分の生活や考えを新たに見直す意味ある機会だったのかな、と思っています。
実際にボランティアに入り現地の方と関わると、きれいごとだけでは済まされないことを知ることがあります。災害時にはその人本来の姿が出るため、それを目の当たりにして、元々親しい人への気持ちが変化することもあります。地震や津波よりも、人間の方が怖い、と言う話も耳にしました。さらに、「皆が秩序を守っている」と美談にされがちな、物資の供給についても、そこから人間関係がほころびはじめることがあることも知りました。

 

人としての本当の姿が見えてしまうほど、大きなものであったこの震災。それでも、ここまで長期に関わってきたことで、松岡さんの中にある「誰かのために」という力が呼び起こされたのも事実でした。それは形を変え、ご自身のエネルギーになっていきます。

 

私が単なるボランティア活動や支援というものを越えて、「中瀬町のおじちゃんやおばちゃん、子供たちのためだったら力になりたい」と思ったのは本当の気持ちです。次のボランティアを今はまだ考えていませんが、行くとしたらやはり、中瀬町です。支援というよりは、せっかくいただいたご縁ですから、そのご縁を支える「支縁」を続けたいと思っています。何かができるわけでもありません。自分自身が一生懸命生き、その姿を見ていただくこと。それもまた、お世話になった中瀬町の方々への恩返しになるのではないかと考えています。そして、こんな私の姿を見て、皆さんが元気に、笑顔になってもらえたらいいな、と思っています。

 

取材・文:かんのみ

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