未経験のことに挑戦する勇気

OBOGインタビュー 大橋弘幸さん

東日本大震災 ボランティアOBOGインタビュー 大橋弘幸さん

震災後、東京での生活も落ち着き始めた4月。「もっと大変な生活を、まだまだ続けている人たちがいる。被災者の方のために直接何かできないか」との思いから現地ボランティア行きを決断。当初は奥様、ご両親の心配もあった。
7月、8月、10月と3回にわたってRQの活動に参加された大橋弘幸さん。次回のボランティアには奥様も共に現地に行くという。

 

帰宅途中、電話したら妻が泣いていた

 

震災当日からボランティアに行くまで、どのような過程があったのですか?

 

震災当日は会社で仕事をしていました。定時まで働いた後、電車が止まっていたので同僚と一緒に歩いて帰りました。
その途中、妻に電話したら泣いていました。家に着くと、外壁が崩れたりしていて。うちのマンションは比較的高層で、結構揺れたと思います。自宅は足の踏み場もないくらい散らかっていて、電子レンジは落ちているし、テレビも壊れているし、それをしばらく片付けていましたね。
怖くて家に入れず、妻と交代で家で寝るような生活を2週間くらい続けました。

 

そのころは、ボランティアということは全く考えていませんでした。自分の生活でいっぱいで。水も手に入らなくて、食料も売ってなくて、生活が落ち着くまでは意識してなかったですね。
ただ東京での生活が落ち着いてきた4月ごろから「我々は普通の生活に戻ってきたけど、東北では自分が震災直後に味わった生活よりももっとひどい状況が続いている」というのを考えると、やはり何かしたいという気持ちが出てきました。
最初は節電したり、義援金を送ったりとか、そういうことはしていました。でも節電は関東の電気が足りなくて、関東に住む自分たちに対してのためだし、義援金もなかなか配分されていないという状況を知りましたし、それもあって、実際に行って何かやりたいなという気持ちが強くなりました。
またそのころ、ちょうど大学の友人もボランティアに行ったりしていたので、自分も何かできないかと思い始めました。

 

それから最初に行く7月まではちょっと空きますが、仕事の関係もあって、仕事も落ち着いてからと思っていました。まず説明会にとは思っていたんですが、土曜日が空いている日がなかったんですね。

 

RQのことはどのようにして知ったのですか?

 

RQのことは最初から知っていたわけではありません。インターネットで「震災ボランティア」と検索して。
仕事をしながら行きやすいところを探していたんですが、RQだったら活動日数も行く時期も自由にできて、また説明会とHPである程度のイメージがわいたので、ここに行ってみたいなと思いました。両親は「気を付けて行ってきなさい」と。ただ心配はしていたみたいですね。

 

現地ではどんな活動を?

 

歌津での漂着物の撤去をやりました。想像していたより生々しかったですね。写真とか預金通帳とか、生活物が出てきて、それが7月ですから4カ月近く放置されていたのかと思うと悲しかったです。釘の出ている柱とか重いモノもたくさんあったんですけど、リーダーも安全と熱中症には常に気を遣ってくださって、活動しやすかったです。
もともとアウトドア派なので、割といろんなものがなくてもビックリしない方なので、体育館(7月当時の東北現地本部旧鱒淵小体育館)も予想していた通りかなと。狭いところをうまく使ってやっているなという感じでした。
昼間汗かいた後、お風呂に入れないのがちょっと気になったくらいで、他は困らなかったです。

 

もっと早く行けばよかった

 

行ってみて感じたことは、最初は、大丈夫かなという不安がある中で、実際に行ってみて、ちゃんとうまくいったということで、未経験のことに対して挑戦する勇気が出てきたと思います。
もっと早く来ればよかったなとも思いました。説明会に出てからとか、土曜が空いてなかったからとか、なんか自分の中で先延ばしして、そんなの気にしないでもっと早く来たらよかったなと思いました。
そしてすぐにまた行きたいと思いました。
自分でも役に立てたということが嬉しかったのと、まだまだ自分の中でも足りないと思って。復興に向けて自分ができたことは少しだけなので、少しでも多くやりたいと思ったし、仕事しながらでも毎週来ている人がいて、そういう方からも影響を受けました。
登米はたくさんの作業内容もありますし、自分が普段活かせないようなバックグラウンドも活かせるというか、そう感じました。

 

同じ復興への思いを持つ人との共同生活、充実していた

 

2回目は8月です。
その時は小泉のテント張りと漂着物の撤去、登米での受付。外での活動は人気があるので1回やったら中の活動をすればいいかなと思っていました。最終日は夕方帰りますし、受付をやりました。
生活環境は体育館時代と比べると、校舎に移ってから快適でした。こんなに快適でいいのかなと。ただ避難所として使われていたのかと思うと・・・元々人が住むための作りではないので、不便だっただろうなと思います。プライバシーもなくて、お風呂も仮のものですし。
2回目も実際に現地へ行ってみて、同じ復興への思いを持つ人と生活して、充実していましたね。また行こうと思いました。
たくさんの活動がある中で、次に行ったらこういうことをやってみたいな、と感じました。たくさんの人とも話ができて、活動の内容を聞いたり、次はこんな活動をしてみたいと思いました。
初めて行った時は自分の活動とその周り程度しか見えていなかったことが、2回目になって慣れてくると、いろんなチームがいろんな活動をしているのが見えてきたんですね。

 

東日本大震災 ボランティアOBOGインタビュー 大橋弘幸さん

 

裏方の活動がRQを支え、それが復興につながっていく

 

いろんな人がいろんな活動を通じて、それは施設の中での裏方的な活動も含めて、そういうことがあって被災地支援が成り立っているのだと分かりました。それは前回の、1回目の活動だけじゃ分からなかったことですし、現場の活動の裏で、いろんな人の頑張りがあるのがわかって、それらを知れて良かったなと思いました。そういうのが積み重なって現場での瓦礫、漂着物撤去等の様々な活動、復興につながっていくんだと思いました。

 

そして10月の3回目となるわけですね。

 

10月は唐桑での牡蠣養殖のお手伝いと地域支援チームで歌津復興ライブのお手伝いをしました。
地元の方にとってはつらいことが・・・あったと思うんですけど、とても優しく笑顔で接してくださいます。地元の方の気持ちの温かさもあるだろうし、これまでのRQの活動からの信頼もあっただろうし、すごく心温まりました。

 

挑戦、勇気、自信

 

行く前と、3回行ってみて、何か変化がありましたか?

 

やはり、やったことのないことに対して、怖がってやめようじゃなくて、とりあえずやってみようという姿勢がついたと思います。
今日の説明会で報告者になったのもそうですし、今もインタビューを受けていますし。半年前の僕だったらあり得なかったと思います。
夜の全体ミーティングでは、みんなの前で活動報告をして、これまではそれを自分がやるとは思っていなくて、勇気というか、ちょっとした自信にもつながりました。

 

これからも被災地支援に関わりたい

 

RQは一般のボランティアの受け入れを、11月いっぱいを目処に終了するようですので、僕自身は被災地と今後どう関わっていけるのか、と考えています。
RQのボランティア経験者の人たちと東京で会ってもその話が多いですね。特に働いている人はこれから被災地との関わりを、仕事をしながらどう保っていくのか。どう被災地に貢献していけるのか、と。
これからも被災地支援は続けたいですし、何からの形でRQに関わっていければいいと思います。

 

取材・文:ぐっちょん

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