決断、実行、結果の早さが気持ちいい

OBOGインタビュー 大西伸之介さん

東日本大震災 ボランティアOBOGインタビュー 大西伸之介さん

RQ歌津センターで3回、ボランティアに参加したのが大西伸之介さん。歌津に行くたびに少しずつ片付く様子を目にして感激したといいます。仕事はIT関係。今後は現地を離れていても支援できる「ITボランティア」の道を模索しています。

 

歌津に行けばボランティアのみんなに会える

 

都内でサラリーマンとして働き、15年目を迎えた記念の休みをボランティアに費やそう、と思いたったところから、大西さんの活動が始まりました。

 

震災後ネットでボランティアを探していました。RQは〇泊〇日などという日程の制約がなく、自分で日数を選べるので参加を決めました。6月に4泊5日、7月に2泊3日、そして8月のお盆の時期にと計3回、歌津に入り、活動してきました。初めは、震災のボランティアですから場所や活動内容に特別な希望は持っていませんでした。とにかく自分がやれることなら、何でも手伝おうというくらいの感覚で歌津に入りました。でも、結局3回全て歌津に行ったのは、長期で入っているボランティアの人(スパイダーさん、十姫さん、清水さんなど)が多く、そこに行くとみんなに会える、沢山の方が被害に遭われた中で不謹慎かも知れませんが、ボランティア活動そのものは楽しかった面もあったからです。

 

このインタビューを大西さんにしたのは東京本部で説明会があった日。奥さまとご一緒でした。その奥さまをひとり東京に残してボランティアに行くことへの不安などは感じなかったのでしょうか?

 

7月に行った時、本当は奥さんも一緒にいく予定でした。そのため、歌津にあるホテル観洋に泊まろうと予約をとっていました。このホテルは震災後、営業していたわけではないのですが、ボランティアであれば宿泊できるというので選びました。
ただ、予約を取ったものの、奥さんは体調不良で参加できず、私1人でいくことになりました。とてもきれいなホテルで1泊しましたが、2日目は歌津センターに移動しちゃいましたね。
奥さんからしてみたら、なぜ3回も同じ場所に?という感覚があったと思います。でも、彼女なりに納得してくれたようですし、僕自身は関西から東京にでてきた人間、ということもあってか長距離移動などで地理的に離れることにそれほど抵抗感がない、というのが正直なところです。

 

計3回の活動では、ご自身の感じ方にも少しずつ変化がでてきたと言います。歌津で、目にされたこと、感じられたことは?

 

1回目は自分ひとりだけで参加しました。地理的には不案内な場所だったけど、自分の運転で志津川まで出て、歌津センターまで海岸沿いを走りました。その時見た町一つがそっくり無くなっている、という光景に大きなショックを受けました。運転しながら、20分くらいずっと口をあけたままだったことを覚えています。阪神大震災にも遭遇していますが、あの時はひどい場所でも2~3割は無事な建物が残っていましたから。
歌津には1人で参加したあと、会社でボランティアのことを話したりしました。でも語るだけでは留まらず、後輩を巻き込んで連れて行きました。現地を見て「まだまだやること、ありますね」と後輩が言っていました。自分の体験を話すだけでなく、実際に目にしてもらったことに意味があったな、と思っています。

 

RQで歌津に行くたびに少しずつ片付いてきているのを見るのは嬉しかったです。僕は力仕事だけをしていて、がれきを撤去したり、屋根作りをしたりしていました。
活動のよさとしては、やったらやった分、目に見えて成果がわかるところだと思います。普段会社勤めをしているから余計、そう思うのかもしれません。会社での日々の仕事は、成果がすぐ形になって見えるものではないので。それにRQでは、みんながとにかく自発的に動く良さがあると思いました。会社での仕事とは全く違って、体を動かして気持ちが良いだけでなく、皆が自分で考えてよいと思うことをとにかく実行していくことに気持ちよさを感じました。

 

東日本大震災 ボランティアOBOGインタビュー 大西伸之介さん

 

外国人ボランティアの行動の凄さ

 

ご自身の活動のほかにも印象に残っていることがある、という大西さん。実際に行ってみないと、なかなかわからない、現地の別の側面も目の当たりにされました。

 

やはり、印象に残ったのは外国人のボランティアが多い、ということです。
歌津では総勢100人くらいのボランティアとすれ違っていると思いますが、その内10人以上は外国人だったんじゃないでしょうか。普段町に居て、歩いている人の1割が外国人、なんてことはないですよね。特に韓国から来た20代中盤くらいの若者、イギリスからきた40代後半~50代くらいの男性、アメリカからきた高校生くらいの子が数人と、そのお母さんのグループはよく覚えていますね。
韓国人の若者は、兵役を終えていると言っていたせいか、野外作業やテント生活に慣れていて、テキパキとこなしていました。とても頼もしかったです。イギリス人は、さすがガーデニングの国らしく、保育所の花壇を1人で静かに直していました。僕たちはそこを“English garden”なんて呼んだりして。
アメリカ人の高校生は2~3人のグループで、そのうち1人の子のお母さんが日本人で、その子と友だちを引率してきているようでした。アメリカで、被災地支援のチャリティーで、ゴムのリストバンドを作って売っていたらしく、そのお金を寄付したり、残りを現地で売ったりもしていました。自分だったら、今アメリカで地震があったらすぐ駆けつけるか、というとそれはできないと思うので、行動力の凄さを目の当たりにしましたね。

 

外国人ボランティアの中でもとりわけ、Andrewという青年は印象深いですよ。見た目は線の細い感じなのですが、現地でとても力を発揮して、働いていました。震災前、日本で働く機会をうかがっていたようですが、震災があって、RQで登米にまず入ったそうです。登米からたまたま歌津に派遣されてきた日があったのですが、周りのみんなが口をそろえて「歌津に呼び寄せよう!」というほど、本当に良く働いてくれていたので、登米にずっといる予定だったところを、歌津に来てもらったという経緯がありました。
日本語もぺらぺらで、現場リーダーを任せて1カ月くらいいたんじゃないでしょうか。仕事の段取りの仕方がいい、というか、言われたことをより良くなる方に、自己判断して動く、というところはすごいと思いました。今はこちらに戻ってきているようですけれど、まだ連絡を取り合っています。

 

関わり方は変わっても引き続きボランティアしたい

 

会社の仕事とは「ちがう」ところにボランティア活動のよさを感じた大西さん。しかし、被災地の姿が変わっていく中で、ボランティアとして求められることも少しずつ変化していく。その中で、新しい現地との関わりあい方を探り、次を見すえ始めているという。

 

今後、RQとして現地に入る時間がとれないかもしれないので、東北に旅行でもして、お金をおとすことで貢献できればな、と考えています。本当に東北はきれいなところなので。また、自分が普段している仕事とは離れているところに、ボランティアのよさを感じていたのは確かです。
でも実は、歌津で活動している時に、他のNPOのボランティアの人と知り合いになる機会があり、現地との今後の関わり方に、自分の仕事が活かせるのではないか、と考えるようになってきました。今、IT関係でソフト開発をしているのですが、現地で今後インターネットなどの需要がでてきそうなんです。Yahooなどでお年寄りの代わりに検索をしたり、名刺を刷ったり・・・など「IT ボランティア」というものを視野に入れています。
ボランティアとしての関わり方の形が変わっても、引き続き現地の再生のお手伝いをしていければいいな、と考えています。

 

取材・文:かんのみ

 

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