歌津の仙人、さえずりの谷にあらわれる

OBOGインタビュー 蜘瀧仙人さん

東日本大震災 RQボランティア 蜘瀧仙人さん スパイダー

作務衣の上下にエアソール足袋、頭と首にはもちろん手ぬぐい。板につきすぎているその姿は、さながら忍者か修験者か。そのオーラが“ただならぬ人”であることを伝えている、“歌津のスパイダー”こと、蜘瀧仙人(くもたきのりと)さん。
電気・ガスだけでなく、上下水道もない。RQの各ボランティアセンターのなかで、もっともハードルが高いといわれた歌津に6月下旬に入って以来、里山の自然が放つ“場の力”に惹かれ、活動を続けてきたスパイダーさんが力を注いできたのが、夏の子どもキャンプから発展した、遊びと学びの場づくり=さえずりの谷の「てんぐのヤマ学校」だ。
去る10月12日には住民登録上も歌津の住人となり、11月末を以てRQの活動がいったん終了した後も、さえずりの谷で越冬する覚悟を決めている――そんな蜘蛛を研究するナチュラリストにして100キロマラソンを走るウルトラランナーが語る、歌津センターの“これまで”と“これから”。

 

「ここを島だと思ってください」という一言に共感

もともとはキリスト教系団体で、都市と農村をつなぐためにアジアの開発教育や町おこしのコーディネートをしていました。だけど、自分はカチッとした組織のなかで他人と一緒に仕事をするのはあまり得意じゃないと気づいて、蜘蛛の研究者になったんです。でも、震災が起きて、やはり人のためにできることをやろうと思ったのが、ボランティアに来たきっかけですね。僕は車の免許を持っていないので、個人で被災地に入るのは難しいと思って、ネットなどで活動団体を調べていたんですけど、そのなかで個人のイニシアティブが活かされそうで、自分の性に合っているんじゃないかなあと感じたのがRQでした。

歌津に来たとき、当時ひとりで総務を切り盛りしていたリーダーの十姫さんが「ここを島だと思ってください」と言ったんですけど、その一言にピンと来たんです。父親がYMCAのキャンプリーダーをやっていた関係で、小学校2年生のときから毎年、無人島キャンプに10日間放り込まれるとか、僕は小さい頃にアウトドアのスパルタ教育を受けていたんです。だからライフラインが途切れた場所を島にたとえ、「町を片付けに来たボランティアはここに何も捨てない、すべて自分たちで処理する」という彼女や現場リーダー清水さんの気構えやエコビレッジ構想を聞いて、これは面白い場所だなあと。

もちろん現実には、自分たちの生活に手間をかける=スローライフの実践と、限られた滞在時間内での被災地支援を両立するのはかなり難しいことです。被災地支援は毎日の仕事を効率よくこなさなければいけないので、スローじゃできないし、ボランティアに参加する人も代わっていくなかで、どこでどう折り合いをつけるか。長期ボランティアたちは、いろいろ話し合っていました。

 

歌津 さえずりの谷

 

「アウトドアと日常の境をなくすこと。モノがなければないなりの工夫をする知恵を絞ること。都市と農村をつなぐこと」。RQで活動を始めるにあたって、この3つのことを実践したいと心がけたというスパイダーさん。震災以前から感じてはいたものの、原発事故を機に、都会で電気に頼り過ぎている生活を改善しようと、徹底した節電を実施。やってみて実感したのは、生活を少し変えれば、それほどたくさんの電気は必要ではないということだった。また、電子レンジや冷蔵庫・冷房に頼りすぎない、ご飯はガスを使い鍋で炊くなど、電気を使わずに、工夫しながら料理を楽しむことは、キャンプ料理に通じているとも話す。

 

自然のなかで、遊びを通じて学ぶ“生きる知恵”を
 子どもたちに伝えたい

 

家で子どもたちにも見せようと思って、アウトドアに近い生活を始めたら、電気代が半分くらいになったんです。無人島でのキャンプだけじゃなく、小学生の頃は休みのたびに家に友達を呼んでバーベキューや飯ごう炊さんをやっていたせいか、もともと自分なりに工夫することは好きだったし、実際、被災地の住民は何もないなかでもなんとかしないといけない、という状況を生きてきたわけですよ。

僕は新興住宅地で育ちましたけど、まだ周囲には自然が残っていて、藪に秘密基地をつくり、自分たちで見つけたものを利用して遊んでいました。でも、歌津の伊里前小学校の教頭先生も同じことを言っていましたけど、僕らは自分たちがやってきたこと、つまり自然のなかで、遊びを通じて学ぶということを次の世代に伝えてこなかったんです。

子どもたちに自然を紹介することはすごく大事なことだと信じているので、東京でも、自分の子どもが通っている学校で、蜘蛛の話をさせてもらったりはしていました。子どもキャンプも、そこから発展するかたちで「ヤマ学校」を始めたのも、次世代への引き継ぎをしてこなかったことへの反省という面もありますね。

あと、子どもとつながると、大人ともつながることができるんです。子どもたちが家に帰って、“こういう面白い仙人さんがいるんだよ”と親に話してくれるのは最高の紹介で、子どもを通じて地元の人ともぐっと近づくことができた、というところはあります。

 

津波で遊び場を失った子どもたちに、思い切り遊んでもらおう。自然のなかにあるものを利用して、遊ぶ力を取り戻してもらおう。そんな気持ちで取り組んだ、夏の子どもキャンプをきっかけに始まった「ヤマ学校」。本来この地域で「ヤマ学校する」とは、学校をサボって通学路や野山や海で遊ぶ子どもたちの冒険のこと。畑の大根を抜き、貝や魚を採り、樹に登った体験を誰しもがなつかしく語る。自然のなかでの遊びと学びの体験を通じて、子どもたちが生きる知恵を養うという伝統があり、それが津波被災直後の生活力を支えもしたという。「てんぐのヤマ学校」は、里山の伝統的な知恵を学ぶことができるアウトドアの活動拠点づくりと同時に、大人と子どものコミュニティ・スペースづくりも目指している。
本職は蜘蛛の研究者であるスパイダーさんが、ここまで腰を据えてやろうと思った理由。それは、ここに里山の自然という大きな魅力があったからだった。

 

生き物のつながりが見える場所にこそ生まれる、
 信仰と物語

海と山が迫った地形である歌津では、歌津センターの周辺にもテントのなかにも、都会では見られない蜘蛛が何種類もいたんです。蜘蛛は自然をみる「指標」になる生き物で、蜘蛛がたくさんいる場所は自然そのものが面白いという関係があるので、これは蜘蛛屋だけでなく、自然が好きな人にも面白い場所だろうと。この谷なら、少し手を入れて整備をすれば、いろいろな生き物が見ることができるだろうと、直感で思って。それで夏にキャンプをやってみたら、いろいろなストーリーが生まれて・・。

実際、さえずりの谷では、夜は動物の鳴き声が、朝になれば鳥のさえずりが聞こえてくるし、セミもホタルも蛇も何種類もいます。やっぱり生き物との出逢いは、子どもにとってすごくワクワクすることなんですよ。今、ライフラインということばは、都会生活に欠かせないインフラ(電気・ガス・水道)という意味合いでばかり使われるけど、里山には里山の、命をつなぐライフラインがあるんです。生き物は食べたり、食べられたりしながらお互いつながっているし、そのつながりが見える場所、もののけの気配さえ漂う場所に、物語や自然を畏敬する信仰は生まれるんです。

小学校低学年の子どもたちは、最初は怖がっているけれど、プログラムのハイライトとして「蜘蛛仙人」や「天狗」が登場すると、すごく喜びます。こっちも、「今日は(なにかが)出るぞ」という雰囲気を昼からどんどんつくってね。

やっぱり子どもたちとのやりとりのなかで、ちょっと神がかるというか、こっちにも何かが降りてきて、本当に天狗サマの弟子入りした気になれる(笑)。子どもが本気で信じてくれるから、こっちも本気で演じられるわけで、受け手があってこその“ごっこ”遊びなんです。

 

RQ歌津 さえずりの谷

 

ところでインタビューの冒頭、“子どもたちに・・”という発言もあったように、蜘瀧仙人にも、ご家族はいらっしゃる。住民票も移して、歌津の住人になったスパイダーさんに、家族の反応は? と尋ねると、“それは彼らに聞いてみないとわからないことだけど・・”といいつつ、こんな答えが返ってきた。

 

家族も参加した、夏の子どもキャンプ

歌津での活動については、大事なことだから、と応援はしてくれていますね。自宅で研究をしていた時期は、主夫として家事を一手に引き受けていました。連れ合いは児童館の館長をしていて、今でもしょっちゅう週末にデイキャンプを行なっているし、子どもの頃は山村に住んでいた人なので、野遊びも得意。歌津のキャンプに来た時もすごく生き生きしていたし、子どもたちがついていけない高い木に登って喜んでいましたよ。

郵便局や銀行、商店の復旧が遅れて、歌津では、まだまだ不便な状況が続いています。僕も必要物資をネット注文した払い込みが滞らないように代わりに入金してもらうとか、谷の整備に必要な荷物を東京で買って送ってもらうとか、そういう点でも家族に頼っています。

仮設商店もいくつか開店しましたけど、どこで自分の仕事を再開すればいいか、悩んでいる人も少なくありません。お店を再開したくても、新たに町をつくる場所が決まらないうちは、店を開く場所を決められないとか……。高台移転が決まらないことで、歌津を離れていく人もいたり、その辺りは難しいわけです。

 

今後、さえずりの谷が子どもたちの遊び場としてより広がっていくために、すでに冬支度は始まっており、田んぼの復田についても地主さんと協議中とのこと。子どもたちの親だけでなく、地域の人にビジョンを共有してもらうためにも、冬場もさえずりの谷に暮らすことで、活動の核がここにあることを見せたい。スパイダーさんはそう考えている。

 

東日本大震災 歌津 子どもキャンプ

 

さえずりの谷に仙人が住み続ける意味

本当に、歌津は何もない場所で支援活動を始めているので、RQは水も食料も、人材もほとんど外から来るものに頼っていました。さえずりの谷もRQという団体があって始まったものです。11月末でRQがいったんクローズするのに合わせて、冬場は(谷を)離れてもいいんじゃないか、という意見もあるけれど、僕としては、やはりあの谷に人が住んでいることにこそ迫力というか、ヤマ学校としての活動の核があると思っています。

新しいRQがどうなっていくかは、実際、動き始めてみないことにはわからない部分も多いでしょうけれど、僕自身はさえずりの谷の住人をしながら、三嶋神社のお祭り復興の歩みにもかかわっていくつもりです。

復興住宅ができるまで、祭りどころじゃないというのが大人たちの公式見解ですが、復興が遅れれば、お祭りのひとつの主役である子どもは子ども太鼓の晴れ舞台に参加するチャンスを逃してしまうわけで。子どもは待てない。今しか子どもじゃないからです。だからお祭りごっこをこの夏さえずりの谷でやりました。山と海、大人と子どもが一体になって行われるお祭りは文化的にも素晴らしいものだし、祭りを通じて町がひとつになるところを見たいと思っています。

 

3月の震災直後に被災地にかけつけたのは、雪のなかでも野外キャンプができるような、アウトドアのスキルを持った人たちだった。だが、それは緊急支援時の話で、10月に石泉活性化センターに移転するまで、長くテント生活が続いた歌津に参加したボランティアたちは、決してアウトドアに長けた人ばかりではなくなっていた。それでも見よう見まねで前任者を引き継いでいったそのことがRQのすごいところだと、スパイダーさんはいう。

 

ロードキルのたぬきをさばく

もちろん、震災直後のあの時期に支援に入った人たちはすごいと思うけど、後から来た人たちは歌津でボランティア活動をするなかで、アウトドア生活を担っていったんです。僕自身、子ども頃にキャンプ参加経験はあったとはいえ、(キャンプを)上手くやる方法など知らなかったし、そういう教育を受けたこともありません。子どもとどう接するかも、どんなプログラムを組むかも、すべてぶっつけ本番。本当にその場その場の体験を通じて学んでいくこと、それそのものも「ヤマ学校」であって、自分がやりたかったことなんです。

こないだセンター前で死んでいたロードキルのたぬきを、生まれて初めてさばきました。小学校のときの僕らガキんちょのバイブルだった『冒険手帳』という本に載っていた、ウサギをさばく絵を思い出しながら、足を吊って、腹を裂いて内臓を出して、皮と肉に切り分けて。肉は燻製にして、皮は塩漬けにして油を取り、冬場の毛皮にしようと挑戦しました。明け方までナイフで格闘しましたけど、もしここでさばかなければ、人間が車で轢いたたぬきはゴミとなって朽ちていくわけで、人が殺した命をありがたく頂くのは自分たちの責任じゃないかと。東京ではこんなことしようとは思わないけど、そういう感覚が迫ってくるのは、野性に近いというここの「場の力」が働いているからでしょう。

歌津でも、今はこういうことはやらなくなっているけれど、その技術や知恵を持っている人はいるのでいろいろ教えてもらえるし、それがこの町に継承されている力なんだと思います。

 

ロードキル たぬき

 

歌津には、海の人も山の人もいる。彼らと一緒にいると、日々、気づきがあると同時に、自分で学ぶことも多いというスパイダーさんは、また「人間、いざ緊急事態に直面すれば、なんとかなるものだと、震災を経験した方々はみなさん口にしていました」とも話す。
自然を活かして暮らす力を継承すること。それは、東北の復興を支える力にも通じているはず。「てんぐのヤマ学校」に興味を持った人、応援したい人、歌津の蜘瀧仙人に会いに行ってみてはどうですか?

 

取材・文:つかきょん

 

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