(3)支援拠点を作る 2

中越大震災の場合

 2004年10月23日、新潟県中越地方を襲った大地震は、長岡、十日町、小千谷など広域に被害をもたらしました。すぐさま多くのボランティア団体が駆けつけましたが、震度7を記録した川口町だけは報道さえ入れない空白域となっていたのです。10月29日、私たちホールアース自然学校救援チームは道路が決壊したこの地域への強行を決め、ボランティアもマスコミもいない被災者だけの町に入りました。

 役場前に孤立状態で設置されていた災害本部で打ち合わせを行い、町の社会福祉協議会と共同でボランティアセンターを設置することを決めると、同じくこの日なんとかたどり着いた10数名のボランティアたちと夜のうちにセンターを開設しました。大型テント、テーブル、椅子、文具、救出用具、活動用具、野営道具、調理用具、寝具、食材など、必要な資器材はすべてホールアース自然学校が持ち込んだもので賄い、私が初代の責任者の任に就きました。翌日から殺到しはじめたボランティアを指揮し、各所で寸断され孤立していた集落の全域を川口町災害ボランティアセンター・バイク隊と協力しつつ効果的な救援活動を進めました。

担当者会議より全員参加の情報共有を

 阪神の震災での教訓から「情報の共有と周知」がもっとも大事だと考え、10月30日には手作りのボラセン新聞を発行、31日にはホームページを開設しました。新聞はボランティアに慣れない山里の被災者とのコミュニケーションにとても役立ち、ホームページは半日のアクセス件数5000件を超えました。

 また、他町のボランティアセンターでは殺到するボランティアで機能が麻痺し、その受け入れを中止したのに対し、川口町は1日あたり1000人近いボランティアの受け入れを最後まで続けました。遠隔地から覚悟して駆けつけたボランティアたちにとって、この体験は災害大国日本に活きる個人として人生を変えうる機会だと捉えたからです。

 欠かさずに続けた1日4回の全員ミーティングは少数の担当者会議にせず、1日限りのボランティアでも参加できるようにして情報の共有を図りました。また、活動時間帯にボランティアセンター前の広場を埋めていた人々に対しても、川口町の現状と活動に関するタイムリーな情報を伝えました。川口町の貴重な情報を共有することで、直接現場で活動する機会を持てなかったボランティアや一般の方々も地元に帰って川口町の状況を伝えることができ、ボランティアとしての自覚と意識を維持できたと評価されました。
 川口町ボランティアセンターは、そのほかにも寝たきりのお年寄りをケアする「まごころ隊」、被災した子どもたちをケアする「のびのび隊」など、各種のチームを結成して幅広い活動を担い、2カ月余におよぶ活動を行いました。(「ホールアース自然学校HP」2006年12月16日)

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「災害救援と野外教育」から「自然学校と復興支援」へ  広瀬敏通

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