(4)災害ボランティアの心得 

 広瀬がRQ説明会や全体会議等でよく言う「ボランティアを断らない」「1日だけの参加でもOK」「子連れでもかまわない」という考え方は、これまでの災害支援での経験が背景となっています。「自己完結、自己責任」を原則に据えつつ、「自分たちのできることで貢献したい、役に立ちたい」、という思いも大事にして、自由な発想で支援活動を広げています。

日本にも骨太なボランティア精神を

 ボランティアを“無償の行為”と訳す日本では、組織的かつ機動力のあるボランティア団体は育ちにくいようです。個人の自発的自由意志による活動は“善意”が要(かなめ)となるので、長期的な計画性や統率力ある指揮体制には馴染みません。
 阪神淡路大震災では、被災直後から“不慣れな”ボランティアと被災住民との間でさまざまな摩擦が生じました。しかも“善意”が摩擦発生源となったケースが多いのです。日常のボランティアなら自身のペースにあわせた活動ができますが、災害地の緊急活動では、一元化した指揮系統のもとで、最も効果的な活動を限られた時間内にこなすことが求められます。「私はこうしたい」よりも「今はこうしなければならない」を優先する。神戸の現場でも「僕はこうしたい」「私はこれはいやだ」式の思考にたびたびぶち当たりました。ボランティアに対する日本人の考え方も、そろそろ骨太なものにしていく時が来ているように思います。

 カンボジア内戦時にNGOや政府機関の職員として現地に長期間滞在し、世界各国のNGOや国連機関の活動に自ら参加して体験したことは、阪神大震災の救援活動にも役立ちました。阪神淡路大震災の救援活動で印象的だったのは、海外の医療や救助などの緊急支援チームを日本の役人が「世話が大変」という理由で断ったということです。日本人のボランティア観がよく表れています。国際舞台で活躍する緊急支援チームは、衣食住を自前で準備するのが当たり前です。さらに優れたチームプレイで全体が効率よく目的意識に沿って活動できるのです。しかも有給なので余計な気づかいも不要。これが、緊急時を脱したのちの中長期支援ではとくに威力を発揮します。

 阪神淡路大震災に駆けつけたボランティアは数十万人に達したそうです。さらに、国内津々浦々から寄せられた義援金や物資は、無数の人々の心と存在も感じさせてくれました。阪神淡路大震災はこの国で初めての本格的な“市民ボランティア”を生み出すキッカケになったとも言えるでしょう。東灘小学校ボランティア本部で、私はそんな手ごたえをひしひしと感じていました。だからこそ、次々訪れる主婦や学生、社会人を「もう足りています」と門前払いにはできなかったのです。この1日の体験がキッカケで生涯にわたりボランタリーな活動に参加することになるかもしれないのですから。

 緊急支援活動といっても、つまりは人と人、心と心の関係をどうつくりあげるかという人間の生きることそのままの行為に過ぎません。私たちは生身の体とすすけた顔とかすれた声で、顔と顔をつき合わせて活動しているのです。大事なことは温かい笑顔と心の通う会話。それが仕事を成し遂げるうえで、どれほど効果的であることか。生き延びた人々は涙をいやというほど流すでしょうし、ささくれた雰囲気のなかでは諍いも起きる。せめて第三者の私たちは笑って活動を進めていきたいと思うのです。
(「阪神淡路大震災に思うこと」1995年3月2日)

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「災害救援と野外教育」から「自然学校と復興支援」へ  広瀬敏通

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