『迷惑ボランティア』という合唱が日本中で起きているようです。

「こんな時期に物不足の被災地にボランティアがいけば被災者にいくはずの物資を取ってしまうことになる」

「阪神や中越のような感じでいけるような災害地じゃない。何も出来ないボランティアは近づくべきじゃない」

 

ボランティア元年と言われた1995年の阪神淡路大震災の時にも散々いわれた風評です。この論理で海外の専門的支援チームを断った実例までありました。

 

緊急時に行動するボランティアは行政や社会福祉協議会よりも、専門性や機動性、自立性は群を抜いていますし、そこが仕組みを作って受け入れるボラセンでは、未経験の学生でも迷惑どころか被災者や地元住民の皆さんに感謝されるような活動の日々を生み出していきます。

 

『迷惑ボランティア』を口にする人々は見識を持って発言されるのでしょうが、被災地住民やボランティアの実態を知っているとは思えません。

なぜならば、被災地では過去の災害でもいまの東北でも、被災住民の皆さんはボランティアとの出会いやその献身に強い共感と絆を作り出していくからです。

 

ボランティアの個々人は社会経験も少ない若者も多くいます。人格者とはとても言えない人々の集団です。

それも昨日まで顔を合わせたこともないこの場限りの集団ですが、それが現場にいる人で無ければ信じられないほどに、ひとつの大きな生き物のように多くの異なる機能や働きをする器官をもち、全体として確実に成長し続ける集団を作っているのです。

どんなに大きくても目的を持たない集団は烏合の衆ですが、ここでは共通の目的である「被災地と被災者に貢献したい」という思いが全員を包んでいるために、相互に強い協働の意思がはたらき、無駄な動きをそぎ、機能的、効率的な働きをする組織体が生まれているのです。

 

いまの東北は広大な地域に基本インフラすら回復せず、交通機関は途絶したまま、生き残った住民はちょうど1カ月、絶望から立ち上がってみたものの、疲労と孤立感に打ちのめされようとしています。

「ボランティアはなぜ来てくれないんだ!」という声が各所で聞かれます。

膨大な作業やこころを届ける仕事が、その歯車を回すことすら出来ずに日が過ぎていきます。

 

とくに、福島や仙台、石巻以北の広いエリアには、ボランティアは超過疎の状態が続いています。

メディアが、大学教師や識者が口を揃えて『迷惑ボランティア』の弊害を説いています。

それがどれだけ罪作りか、被災者と若者たちの心を傷つけていることか、溜息しか出ません。

 

もっとボランティアを現地に!!

 

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