登米のテント村にしている体育館はマイナス10度近くまで冷え込み、簡単なマットと寝袋では眠りも得られないし、体調も壊してしまいかねず、ダウンジャケットなど十分な防寒装備で眠りにつきます。

それでも元気よく、笑顔も冗談も出せるボランティアの面々は本当に素晴らしい連中です。

 

 

24日は未明の5時、凍りついた車を暖めて、登米を出て東京に戻りました。

登米から346〜県道4号と経て東北自動車道の若柳金成ICから乗って、東京まで6時間できました。13日に東京から福島まで12時間もかかったことを考えると驚きでした。

 

東京ではRQの第2回救援会議がエコセンで開催され、80数人の様々な団体が集まりました。

この1週間で確実に輪が広がっており、RQの機能も飛躍的に高まっているのを見て、宮城現地の自分たちがとんだ情報過疎であったことを思い知らされました。

私と入れ替わりに経験豊かな仲間たちが続々、現地入りしています。私も日曜日には現地に戻る予定です。

 

今取り組んでいる緊急支援活動は、広域で甚大であることから、かつての災害救援活動で行ってきた被災地でのボラセン設置で始まる直接支援活動とは異なって、アウトドア義援隊と組んで緊急的に必要な物資支援から活動を開始しました。

 

災害救援では以下のような段階があります。

 

1、救命救急期:生存者の救出など、近隣住民や専門団体の活動期

2、被災者支援期:支援物資の配布、避難所、

ボランティアセンターの設立と避難生活支援

3、生活復興期:災害地の片付け作業や仮設住宅への移設など、

生活を復興していくための支援

4、生活再建期:日常生活の再建、地域コミュニティの復活再生、

風評被害への取組み

 

このうち、私たちは2の「被災者支援期の初期段階」を実施しています。発生から2週間、緊急的な物資支援から継続的な消耗品などの物資需要に移り、さらに、人による対面的な支援である被災現地でのボラセン設置と、細やかなケアの実施が必要な段階に入ってきました。

 

この2の時期はいつまでかは分かりません。あまりにも相手が大きすぎ、やる仕事が膨大だからです。

2と3は重なっても来るでしょう。避難所生活とともに、片付け作業も始まりつつあります。

 

RQではそれぞれの段階ごとにプロジェクト的に組み立てていくほうがいいのではないかという議論もあります。

現在は緊急的に結成された任意団体です。今後の課題として、組織のかたちも考える時期が来るでしょう。

でも今は、現地での実際的でリアルな仕事がとても重要です。そこを最優先にしつつ、ロジを作っていきます。

 

東京本部と現地本部それぞれで活発な展開をしているなかで、状況も事態も刻々変わり、その情報のギャップ、齟齬も発生する場面が頻繁に起きてきました。

ある意味、こうした事態は当たり前で、それを相互のミッションで切り抜けていかねばならないのですが、相手に迷惑を掛けてしまうような齟齬はきちんと始末しなければなりません。

今回は、一緒に現地で仕事してきたモンベルの皆さんに、物資の集荷管理で連絡無しの車両が幾台も来てしまったことや、天童市を本部にしているアウトドア義援隊と登米に移ったRQとの整理が不十分であったために混乱を起しました。

 

あらためて、RQを通して天童市のアウトドア義援隊本部に物資を送る際には、宛先を「アウトドア義援隊」と明記すると共に、荷受けの確認を事前にRQの東京本部宛に行うようにしてください。物資はアウトドア義援隊が責任を持って集荷し、それをRQやその他のボランティア団体に配送しています。

RQはその物資を被災現地に届ける仕事を担当しています。

天童市の物資拠点がRQの本部になった2日間があったことで混乱が生じたことに、アウトドア義援隊および関係者の皆さんにお詫びします。

 

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