2011/4/21に東京・西日暮里で開催された第2回・RQボランティア報告会で、広瀬敏通と現地の活動を牽引している佐々木豊志(くりこま高原自然学校代表)が話した、地元被災地の自然学校としてのこの1ヶ月少々の体験談です。(聞き起こし:久村美穂)
 
今回の震災での活動のはじまり
佐々木: 3月11日に、東京・西日暮里で開催されていた広瀬さんの講習会に、くりこま高原自然学校からも二名参加しており、帰宅難民となりました。
 
 二日後の13日、広瀬さんが車で送り届けてくれた二人を、仙台より南の白石で車で拾って合流。その帰り、作業ボランティアをされている吉村さんにコンタクトをとって情報交換する中で、「仙台の南側の沿岸にご遺体が多数あがっていて、なかなか収容できない」との情報がありました。ボートで収容の手伝いが出来ないかという話になり、すぐそのまま盛岡へ向かって、分校の「北上川自然学校」へ行ってゴムボートを取り、そのまま現場に入ったんです。


 
地理の説明
くりこま高原自然学校は、くりこま山にあります。私の実家は仙台、住んでいるのは栗原。白石はここですね。
 
初めての災害ボランティア体験は阪神・淡路大震災
 1995年の阪神淡路大震災の頃、私は東京に住んでいました。当時はサラリーマンやってまして、今の場所に自然学校を作るって決まっていて、3月で会社を辞めることが決まっていた。それで有給休暇がたまっていました。
 1月17日に震災が起きて、すぐに日本アウトドアネットワークという自然学校のネットワークで、広瀬さんたち3人でどこに(支援に)入るかをと動き、その後4月1日まで東灘小学校で支援をしました。そこが私にとっての初めての災害ボランティア経験でした。
 
 私はそのまま会社を辞めて、東灘の支援活動は前半戦だけ入り、アメリカに渡って自然学校の建材となるログハウスを買いつけて3月20日に日本に戻りました。ちょうどサリン事件の頃でした。
 

岩手・宮城内陸地震に遭う

 そして1996年にくりこま高原へ行き、自分でログハウスを建てて自然学校を始めました。そこの場所で、3年前の6月、岩手宮城内陸地震で被災したんです。3年前の記憶が薄い方もいらっしゃるようなので、写真をお見せします。簡単にまとめたやつですけど。
 

 2008年6月14日・午前8時14分に地震が起きました。
 今回(3/11)は太平洋が震源でしたが、3年前は内陸。栗駒山のすぐそば、10キロ先が震源でした。

 荒砥沢ダムのあった山が地すべりを起こして、幅150mのガケが出来ました。研修してたスタッフの毎日の通勤路で、(地滑りの)10分前に通過していて、一歩間違えたら彼はその(地滑りの)中でしたね。
 これは私の仲間がパラグライダーで撮った写真です。

 当時よく映像が出ていた駒の湯温泉。深いV字谷だったのですが、直後は土砂で4〜50mほど埋まって、ここで6名が亡くなりました。

 窓滝。子どもたちがキャンプで遊んだところで、滝があったがあとかたもないです。

 ここは(建物の)基礎をやられて3年間放置していた。今年なんとか直そうと思ってたんですが、今回の地震で駄目になりました。
 
>その2

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