第2回・RQボランティア報告会(4/21)より
 
今回の地震発生時の様子
 (地震発生の当日の)3月11日は、私はテレマークのスキーで9人のお客さまをブナの森でガイドしていたところでした。ちょうど山から下りてきて、駐車場からまだ1キロの、森の切れた広場に出たときですね。携帯の地震警報がへんな音がするって、鳴って身構えたら、3秒くらい、すぐに来ました。あの地震警報ってすごいですね。
 
 3年前は直下型でいきなりガガガーン、と一気に全部壊れた感じだったんですが、今回は揺れ幅が大きくゆっくりで長かったです。相当、こう、2~3mは横に揺れました。
 現在GPSで三角点調査をしていますが、地震があったところは70〜90cm下がりました。海岸線も東に5mずれて1m下がったんです。海に行くと、満潮になると道が冠水してます。また、小さいころ泳いだ大谷(おおや)海岸(気仙沼)の砂浜がなくなっていました。
 
現在のくりこま自然学校のスタッフの活動状況
 くりこま自然学校のスタッフのうち、10人のうち私含めて5名はRQにいます。2名を、もうひとつの活動体である、日本の森バイオマスネットワークに。
 あと3名は学校で留守番です。というのは、うちの学校は馬とかヤギとか、ウサギがいて、鶏もいる、犬も7匹もいるため留守にはできないんですね。
 
 地震の直後は「もう春休みのプログラムは駄目だな」と思いました。自分たちとしては怪我もなかったし、大変な地震なので、救援体制だと。ボランティアに入ることに決めました。
 沿岸部の被害が多いので、お客さん、子どもたちや家族と、いつも自然学校に来てくださる方がすごく多いんですが、その人たちの安否を確かめに行ったり。
 
 3年前に助けてもらいましたので。海からおいしい魚を持ってきてくださったり。車を置いたままヘリで降ろされたんで「車があればいい」とブログに書いたら、すぐに車を持ってきてくれた方がいたんですが、南三陸観光会社を持ってる高橋さんという人で、ビルの上にバスが乗っかってる写真多分あったと思うんですが、バス13台も流されたんですね。営業所も、倉庫も、自宅も、全部なにもかも流されている。
 家を流された方もいっぱいいます。3年前の時は壊れたけど、傾いたまま残ってます。けど今回は全部、何もかも流されてますからね。これからなんとかしたいなと思うんですが、正直どうしようもないというのが今の心境です。
 
阪神大震災支援時と今回の被災での心境の違い
 15年前の阪神の時は、はじめて瓦礫の山を見てボランティアをした。
 今回も同じように被災してるんですが、3年前に自分が被災して、自分の思いと違うところで、どうにもならない自分の生業が切られて、自分の暮らしを遮断されて、その気持ちを味わいました。そういうのは15年前には感じてなかったんですよ。
 
 今回は本当に、被災地に行って瓦礫を片付けている人たちや他の人と会うと、3年前の自分の気持ちがよみがえってきて、被災地に行ってその人たちの気持ちが痛いようにわかるので、なんとかしてあげたいな、という気持ちでいっぱいですね。
 
登米の本部長として
 地の利というか、(地元を)わかってたのが大きかったですね。今回RQ登米の本部長という大きな役割をいただいたんですが、くりこま高原自然学校が近いし、やらなければならないなと腹を括っていました。
 仙台を拠点にすると、被災地と遠いんです。一往復しかできないので、仙台よりもっと近いところで動かないと思っていて、やっぱり登米なんですよ。ぜんぜん物資が届いていないという情報の入ってきた地域をカバーするためには、どう見ても。ここだと七往復はできるので。登米市。ここは栗原市の隣なんですが、良いと思いました。
 
 15年もいると、登米にも知人が沢山できて、役場にもいて、私の学校の理事がそこでお医者さんしていたりして。もうあらゆる手を使って、「今度こそ」の思いで拠点作りに奔走しました。それで体育館を借りられました。
 なにもなくて、ストーブを借りたり、みなさんがいろいろ持ってきてくださって、ご飯も。気がつけば食べるものがなかったりしたんですが、白米だけ自炊して食べたりしてました。そんなことやってる間に、何回かいろんな人がきてくれて。
 
 しかし、役場の人には最初、今のような活動をすることがイメージできず、理解してもらうまでに時間がかかった。一日かかったと思います。説明することに納得してもらって、許可をもうらうまで一日って大げさですけど、半日くらい掛かりました。
 
 トラックが来て、荷物をおろして入れ替えて、被災地に運びます。ボランティアがいっぱい来て何十人も人が泊るんで…と説明しても、全部を一度に理解できない。荷物を出し入れするのに建屋がほしいというと「建屋がいるのか?」という話になるし、泊るというと「誰が泊るのか?」という質問になる。最初に話してるんですよ、それは。
 でも、そういうことをひとつひとつ納得してもらわないといけないんですね。今は目の前にそのイメージがあるので、今になって「あ~こういうことか」と納得してもらえている感じですが。納得している分、今は動きが早いです。たとえば、お風呂は新潟のJECが大きなお風呂を作って持ってきてくれて、そこに水を供給したいが水道の水だと何トンも汲めなくてどうにもならないと役場に話したら、水道設備に話を通してくれたり、すぐに動いてくれるんです。そんな感じで、今では登米市とすごくいい関係になっています。
 
これから現地ボランティア活動を検討しているかたへ
 被災地の方々の、ボランティアに対する見方はさまざまです。ボランティアの名を騙って良くない行動をする人間もいるんですね。飯だけ食べに来ていなくなるとか、「これあきらかに支援物資だよな」と思うものを持って行って、道端で売ってる…とかもあります。
 
 そういう人がいると、ボランティアに対する見方もいろいろになってしまいます。いま歌津にRQが入っていますが、個人のボランティアを連れて置いていくだけじゃなくて、管理・統率は必要だと思います。だから名札を付けて、どこの所属かわかるように徹底しています。
 名札と腕章はつけているんですが、同じ色のジャケット(同じ色のユニフォーム)を着たりしていると認識されやすいのではないか。(ようやく手配済み、5月中旬からRQビブスを利用)
 
 参加期間は、なるべく長期で入ってもらいたい。最低でも4〜5日欲しいところです。2〜3日ではダメ、というのではありません。あらかじめ決まった仕事ならOKです。特に泥だしは手数がこれからどんどん足りなくなるので必要です。
 登米の総務だけでなく、歌津、河北、唐桑など、各拠点にも人がいると仕事がつながるので、そこに入ってくれる人も欲しい。
 
バイオマスエネルギーの普及にも尽力
 RQの活動が、今の自分の活動の6割。3割が日本の森バイオマスネットワークという地元のNPO活動です。「日本の森バイオマスネットワーク」は、3年前の被災の翌年、地方の元気再生事業に助成する内閣府のプロジェクトに手をあげて初めたもの。森林資源活用プロジェクトを立ち上げて、地元の林業やってる人と共同ではじめたのが、バイオマスエネルギーですね。
 つまりペレットストーブを普及して、ペレット(*)を製造し、森林をキレイにしよう。エネルギーを石油から木質エネルギーへ変えよう。
 
 今回は、まさに石油が回らなくなってダメでした(災害発生直後に被災地で食料や物資が極端に不足した理由の一つは、それを運ぶための燃料が無かったため)。それから原子力エネルギーも考えなきゃいけません。
 
 そういうことで、地元にある、足元にある資源を使っていこうというのがバイオマスネットワークです。今回、ここでも同じように支援活動をしました。避難所を回ってみると、ストーブがつかない状態だったんですよ。電気が止まり、石油がなくなる。流通しなくなるんです。
 それでペレットストーブを設置して回ったんです。45か所。ペレットを知らない人が多かったんで、「ペレットって何?」から始まったんですが、今回でだいぶ普及しました。
 
*ペレット:製材をする過程で出る大量の端材や木屑を燃料として再生したもの。燃焼時に発生するCO2は木々が成長する際に大気中から吸収したCO2と同量なので、CO2を増加させる心配もない。
 
仮設住宅の建設のカベと、新たな試み
 仮設住宅の問題ですが、丸投げなんです。日本なんとかプレハブ協会に全部(事業が)流れて東京にお金が流れて、一手に引き受けているんです。だから今仮設住宅建てに来てる人達は、全部地元の人じゃない。みんな東京の大手が集めたところがやっています。
 
 なんとか地元でできないかと訊いてみたのですが、やはり仮設住宅っていろんな縛りがあって。一か月以内に着工しないといけないとか。時間のこととか考えると、民間の住宅メーカーが新たに提案して入るのは不可能だとわかったんで、仮設住宅はあきらめて「復興住宅」を考えました。
 
 バイオマスネットワークは、もともと森林資源を活用するっていうこと。それと、安心で安全の建材を出す。つまりシックハウスのもとの化学物質である、防虫・防かび剤が入っていない建材を使っていこう。安心で安全な地元の森林資源を使って家を立てよう、という趣旨なので、その延長線上で住宅をつくっていこうとしています。
 エネルギーをペレットで供給し、石油を持ってくるんじゃない。「持続可能な」ということを地で行けるような、復興住宅と地域を作ろうと動いています。
 
 長屋みたいな建物がいいですね。仮設住宅は一軒一軒お風呂もついていて、振り分けられて住んでいると、コミュニティの崩壊につながります。
 自立して1~2年のあいだ、新しく建てるまでの一時的な避難所の延長なので、お風呂も銭湯のような、コミュニケーションがとれるような住まいにして、これからの家づくりや地域づくりのことなんか、みんなと話し合っていく環境を提案しています。
 
 新井田小学校の跡地を、仮設住宅の土地として登米市が提供してくれることになりました。仮設住宅のスピードに負けないようにして作っていかなきゃならないので、来月着工します。どういう人を受け入れるか話していますが、母子家庭など、弱者をなんとか受け入れようと。
 また、震災遺児のこどもの対応に関して、自然学校での不登校、ニートのこどもを預かった経験がありますので、そのノウハウをいかして寄宿できないかすすめているところです。

 寄付をしてくれる企業もいくつか。業界の方がいろいろ手を上げてくださって、すでに1棟建てる6,000万円の目処立ったんです。すごいですね。零細自然学校では考えられないです。(おわり)

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