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こげぱん隊

こげぱんさん率いる青年海外協力隊のメンバー16名での現地ボランティア活動/現地視察日記。

メンバーが被災地の現状を自分の目で見て、派遣先諸国で自分の言葉で伝えることも大切な役割のひとつ。彼らの体験談をメンバー日替わりでお伝えしています。バトンはフィリピン派遣予定の柴田さんに!(プロフィールは英文に続きます)

日本で起きた大災害。
実際に自分の目で見て、支援をしてくれたフィリピンでも伝えてきたい。
日本にいるうちにできることをしておきたい。

 

夜行バスで向かった先は宮城県は登米市にあるRQ市民災害支援センター
そこから気仙沼市の小泉地区へ行きました。
そこでは地面を掘り地中にあるありとあらゆるものを掘り出し、分別をしました。
海から遥か離れた、畑だったと言われる地を5㎝掘るとすぐに粘土状のヘドロを含んだにおいのきつい土になり、そこから家のがれきや洋服、日用品、おもちゃ、写真・・・・・掘れば掘るほどあるのでしょうが、キリがないので次へ進みそれでも果てしない作業でした。
それでも、多くのボランティアで作業を行い1日の終わりには分別袋の山が。みんなが力を合わせるってやっぱりすごいですね。

 

ボランティアの仕事は、現場での作業だけでなく、ボランティアセンターでボランティアのための仕事もあります。食事や掃除もボランティアで行われており、とても美味しい食事をいただくことができました。

 

 

それぞれの人が自分のできることで最善を尽くそうとしています。
もちろん、人それぞれ状況が違うので東北の地に来ることが全ての人にとって最善ではないですが、私は自分の置かれている立場で最善を尽くせていたのか・・・・。

 

南三陸町志津川へも行きました。
大きな被害のあったこの地区で店を再開した魚屋さんを訪れ、海鮮丼を頂きました。また、夜には仙台市を訪れ震災復興酒場へ行きました。

 

 

本当に明るくてやさしい地元の方々にどれだけ私たちが元気をもらったか。
元に戻ることはできないかもしれない。けれど、いつだって人には再生する力がある。私は今までずっとそう信じて仕事をしてきた。ここでも、同じことを思いました。
そして、人と人がつながることで、その力はとても大きな物になるのだと思います。

 

震災から半年。今ではテレビではあまり見ることのなくなった被災地は、変わらずに広がっていました。テレビで見た映画のようなすごい光景は、目の前で見るとここに普通の町と人々の日常が半年前に確かにあったことを伝えるものが沢山ありました。
それを一瞬にして奪われることに恐怖だったり、悲しみだったりいろんな感情がこみあげ言葉になりませんでした。

 

私たちは、この災害を決して忘れてはいけない。そして今も苦しんでる人が沢山いることも・・・・

 

Posted by Akiko Shibata

 

The calamity that happened in japan.
I went to Tohoku with thinking that I want to see it my own eyes and I want to do something I can.
And i wanted to tell people of the philippines.

 

We arrived at RQ Citizens Disaster Relief Network Japan at Tome in Miyagi prefectureby a night bus.
And we went to Koizumi in Kesennuma city.At there we dug everything that was buried and separated debris.

 

The place was fields that is far from the seashore.But when I dug a little,there were clay with sludge that smells bad.We found debris of houses,clothes,daily necessities,toys,photographs….I felt it is endless work.
But many volunteers did the work.So we gathered up much debris and put into many darbage bags in a day.
It’s wonderful that everyone did in cooperation.

 

 

The work of volunteers is not only the work of the spot but also the work of volunteer center for volunteers.The cooking or cleaning were done by volunteers.I could eat delicious meals.
Everyone tried to do all they can.I understand that everyone have different situations, so coming the spot is not best way for everyone.But I wonder I did the best way for me until now.

 

We went to the Sidugawa in Minamisanriku city too.
We visited the fish shop that was reopened,and ate Kaisen-don.
And we went to the tavern of support to revival in Sendai at night.The people were kind and cheerful.They gave us much courage.
We maynot change back as before but people have the power of rehabilitation.I have believed it for long time and worked.I thought same thing here.
And I think the power of person will become big if people have connections each other.

 

It past half a year from the calamity.Although It is not reported on TV nowadays,there was the stricken areas that had not changed.I watched the horrid sight like one scene of movie on TV.But at the spot I found many things that told me there were usual lives and cities half a year ago.Tunami took them.I felt fear or sorrow…I couldn’t say anything.

 

We never have to forget the calamity.And there are people who suffer until now….

 

 

柴田 彰子さんのプロフィール:
9年間長野県内の病院、障害者支援施設で作業療法士として勤務していました。
フィリピン パナイ島サンジョニシオ町で障害者へのリハビリ指導や町で行われている障害者支援プログラムの支援を行います。
中学生のころテレビで協力隊の活動を見ていつか自分も行きたいと医療職を目指しました。途上国での人々の生活や障害者の生活を実際にその場で見て経験し、自分ができることを行ってみたいと思い参加を決意しました。

 

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