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「2011年8月15・16日 RQ登米東北現地本部にて」
フランス人記者の通訳をするうちにRQを知り、支援活動に参加してくださっている、仙台にお住まいのフロさん。豊富な写真と、ユーモアあふれる文体で、支援活動をいきいきとレポートしてくださっています!今日は、なんと「メモっこ」=聞き書き活動のレポート!写真で人物がお花の仮面をつけているのは、事前に掲載許可を得ていないからだそう。

原文ブログはこちらです。本文および写真の著作権はフロさんに帰属します。

 

RQボランティアセンターへ行くとしたら、
午後の終わり頃且つ、全体会議に間に合う19時30分迄に到着するのが望ましいと言う事が今分かりました。
何故なら、そこで翌日の作業を選ぶ事ができるからです。
広く丸い部屋(前回記事に写真があります)で、各チームの責任者が行う1日の報告を聞いたり、
翌日の仕事の説明をしたり、その作業に何人のボランティアを望んでいるか伝えたりするのを、
全員が床に座って聞きます。

選択肢が多く、幾つかの作業は力を必要としますが、全てではありません。
海岸の複数箇所での大きな破片の除去、小さい破片の除去、漁網の清掃、写真の清掃、
カキ生産者への支援、「カフェ」(被災者センターの中もしくは仮設住宅内で
無料のコーヒーまたは紅茶とビスケットを用意し、人々が集い楽しい時間を過ごしてもらう場所の提供)、
みんなで料理を囲むパーティの企画、女性支援(計画中)、子供向けキャンプやゲーム、
ボランティアへの料理、被災した方々へ配る寄付された洋服や幾つもの品物の分類、
ボランティアの送迎(駅までの往復)、学校内のちょっとした電気作業などです。
私は「メモッコ」を選びました。もちろんそれが何だか皆さんにご紹介します。

実は、私の最初の希望は、知り合いになった被災者男性が学校内で参加していた「カフェ」でした
(彼は仮設住宅への入居を今月末まで待たなくてはなりませんでした)。
しかし到着すると、私にチームへの参加を勧める沢山の「メモッコ」担当者と知り合いになりました。
それはこんな活動です:
津波が全てを奪っていき、村には何も残っておらず、それだけでなく、
この小さな田舎の歴史までもが無くなってしまう。
では多くの高齢者へインタビューを行い、
彼らの生い立ち、ご両親の事、お孫さんの事、
今までの人生で覚えてる事をお話してもらうというものです。
同時に何枚か写真も撮ります。
そして夜になり、各チームに分かれてパソコン上で順番に文章に書き起こすのです。

それから、これらの物語は複数印刷され、
後世へ伝えるのに興味を持った方々へ配布されます。

RQボランティアセンターに頼まれて、顔を(お花で)隠しました。

朝食後、メモッコチームが1日の準備の為集まります。

私は本吉(気仙沼)と志津川(南三陸)の間にある歌津へと行くチームへ参加します。

(2日間の写真がちょっと混ざっています。)
私達は歌津の仮設住宅施設へ、
前日に約束した時間より早く到着しました。
あずまやの下に座って喋っていた高齢者グループに、
私達も加わりお話を聞きます。

私以外のボランティアは名古屋、大阪、北海道などで、
チーム内で唯一私だけが彼らと同じ地元民でした。
ですので外国人の私に驚いたものの、彼らはとても喜んでいるように見えました。
私は地元の場所のほとんどを知っていたため、インタビューではとても役に立ちました。
(本吉にある大谷海岸は、私の娘が小さい頃家族で行き、ツツジがとても綺麗でした!
彼らとのインタビューを通じて、その土地をより身近に感じたのでした。)
地方の幾つかの方言について、時おり先生からの質問にも答えるのですが、
(「おっぴばあちゃん」、または「おっぺさん」)、
もともとは大阪からの影響を受けているようです。
この先生は日常よく聞いている「東北弁」の事をとても理解していました。

こちらの女性達がとても優しく、
来月RQに戻ったらまたインタビューに来たいと考えています
(彼女達は何と90歳をこえているのです!)。
この2日間で、漁師の男性2人と、
以前地方の子供向け番組で働いていた時会ったことのある女性1人、
計3人へのインタビューに参加しました。

私達は記者のマスコミ向けインタビューとは違うので、ここで詳細を話す事はできません。
ですが、水田を持つ漁師がいた事、ワカメ(海草)を収穫する船を持つ農家もいた事などから、
地元の人は100%漁師ではなかった事、100%農家ではなかった事、
広い意味で地方を表すことができます。
また、かつて東北のこのような田舎では、(現在もまだ少し)、
男性、しばしば女性も、東京、
静岡(仙台と比べ、特に浜松のような田舎から遠く離れた大都市)、名古屋へ、
漁業や農業のオフシーズンに働きに行き、
収穫の時期になると地元へ戻り、アワビやワカメを収穫するのです。
漁師の1人が、ワカメの生育についてあらゆる面から説明してくれると、
ノートに書き込む私と学生は頭がこんがらがってしまいました!!!
(後で同じメモッコチームの大学の先生と若い女性に笑われてしまいました。)

この男性は魚を獲るのに、
奥さんの船の操作がいかに的確で上手だったかを私達に語ってくれました。
その為、奥さんが紙に書いて説明してくれたのです。

私(と学生)は全てを理解する事はできませんが、
この女性がその分野ではスペシャリストの様に感じました。

この船の操り上手な女性の旦那さんは、
3月11日、命が助かって本当に幸運な方です。
海流に流れる家の屋根に上がって、人生の終わりが来たと感じていたそうです。
ですがその屋根が他の漂流物によって動かなくなり、海にのみ込まれずに済んだのです。
インタビューを行った別の漁師の方は、
建物の屋上に上がり、水が身長の高さほどにまで上がってきたと言います。
しかし流されないようにしっかりとアンテナにしがみつき、
翌日12日にヘリコプターで救助されるまで、
膝まで水に浸かりながら一晩中立ちっぱなしで過ごしたのです。
女性のインタビューの時は、
この女性は、まだ2歳の孫を(雪が降っていたので)毛布をまとわせて背中に背負い、
当時妊娠8ヶ月の娘さんとその5歳の息子とぎりぎりの所で逃げたのです。

仮設住宅では、全員が辛い出来事を抱えているのです。
2日間の報告以外では、
1度、クルマのバッテリーが上がってしまいました!

そして昼食にピクニックをしました。

「弁当」(食事)は、日本の別の地域からの応援メッセージが掲げられていた、
唯一近くで開いていた「コンビニ」で買いました。

最後に、夜になって、記事を書き起こすのに長時間かかってしまいました!!!

寝る時は真っ暗闇の中を自分の寝場所まで辿り着きますが、
(いつも鞄の中の懐中電灯を出し忘れるのです!)
毎回誰も踏みつけて起こすことなく辿り着けるなんて、奇跡です!
これが、RQ2011年8月の全てです。
9月に私の山形の友人がRQに戻ってくる予定です。

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