イラスト・文:(つるさん)こと 鶴木賢司 

 

震災ボラ参加実績

「つるさん」が初めて被災地に入ったのは5月14日、大船渡市だった。被災から2ヶ月がたっていた。以後の震災ボラへの参加実績は、表1のとおり。計5回、往復を含め延べ49日、実働は40日ほどだ。
「RQ市民災害救援センター(以下、RQ)」に参加したのは、前出の静岡県社協のボラ派遣が中止になり、行き先を失ったためだった。個人ボラ受け入れ団体として「まごころネット」と「RQ」を候補にしていたが、個人の好みと手続きが簡単なことからRQを選択した。それから後は、一貫してRQでお世話になった。なお、RQ東北本部(宮城県登米市)への往復は愛車を使い、現地活動でもこれを活用した。

 

表1 震災ボラ参加実績リスト
 

ボラ活動にカメラを持参しなかった。これは、被災地を撮影することに少なからず抵抗があった。但し、心覚えのため携帯カメラで何枚か撮影した。ここに掲載するイラストはこれら写真がベースである。また、ともに活動したボラ仲間から送られた写真、親しいボラ仲間に提供を求めた写真も採用した。従って、掲載するイラストには、「つるさん」が見ていない光景も含まれる。提供写真をベースにしたイラストには、提供者のイニシャルを付記する。写真はPCからプリントアウト、マトリックス切りしてスケッチ用紙に下書き、製図用水性ペンで清書、色鉛筆で彩色した。画集は被災地惨状、ボラ活動、復興・再建への歩みを進める風景、三つに分ける構成とし、イラストに写真撮影日、背景コメントを付記する。なお、撮影日と掲載順はバラバラである。被災地の光景は、北から南への順で配置、その他は適当である。なお、イラストの手書き日付は絵の制作日である。

掲載イラストの対象地

イラスト対象地の位置関係は、東北地方、三陸主要部、気仙沼市及び南三陸町の概要図を参照願う。

No.1 岩手県宮古市・田老地区の惨状(色を失った街)  2011.9.18

有名なX字形の巨大防潮堤で守られた田老地区、津波はこの防潮堤すら乗り越え流れこんだ。街は破壊され家屋は流失、生活にあったさまざまな色が失われた。

 

No.2 岩手県大槌町 街区郊外の被災風景  2011.9.18

中心部は津波で流失、多くの人命が失われた町、いまはガレキの山がいくつも並ぶ、海辺のレストランだろうか、破壊された姿は無残。左手橋の欄干はすべて山側にへし折られ、路面に段差が生じていた。

 

No.3 岩手県山田町 津波で流失・破損した漁船群 2011.9.18

 漁港の一角に、津波で流失・破損した漁船であろう、大小さまざまな船が何十隻と折り重なり集積されていた。その経済的損失はいかばかりか、津波は人々の命・財産ばかりか、明日の糧すら奪っていった。5月下旬派遣が実現していたならば、「つるさん」はこの地で活動していたはず、ここに立ったときの心境は複雑だった。パトロールであろうか静岡ナンバーの4WD車が、浜松ナンバーを付けるわが愛車の横をとおり過ぎていった。静岡県は、まだまだ山田町の支援を続けているようだ、すこし安心した。

 

No.4 岩手県陸前高田市 破壊されガレキに埋る街区 2011.5.15

 陸前高田市の被災光景である、ボラ・バスの中から息をのみ眺めた。参加者だれもが声なく窓ガラスに顔をすりつけ、喰い入るように見ていた。大きな流倒木がいたる所に転がり、木造家屋はすべて流失、かろうじて鉄骨建造物だけが残る、それも破壊跡は歴然だ。テレビ映像、写真でなんども目にした光景のはずが、この目で見た現地はまったく異なっていた、凄まじいのひと言、大きな衝撃だった。

<続く>

このレポートはRQでボランティア活動に参加されたつるさんが、ご自宅に戻られてから丁寧にまとめて下さった「東日本大震災 震災ボラ・イラスト集(配布版) 2011年・悲しみの光景と絆 「つるさん」と「ボラ仲間」がみた被災地」のイラストとそれに添えられたつるさん自身の手になる解説を、つるさんの許可を得て編集を加えずそのまま掲載するものです。
※すべてのイラスト・文章の著作権はつるさんに帰属します。一切の転載・転用は固くお断りします。

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