イラスト・文:(つるさん)こと 鶴木賢司 

 

No.11 宮城県南三陸町・志津川(袖浜海岸) 堆積した砂に埋る漁船  2011.6.下旬

ここ袖浜は志津川湾の一角、津波で流失した漁船が堆積した砂に埋っていた。船上になぜかチョコンと洋式トイレが載っていた。津波のいたずらか、それとも誰かが置いたのか、むしょうに悲しみを覚えた。このためイラストには敢えて描かなかった、正面の島は「荒島(あれしま)」、神社が祭られている。

 

No.12 宮城県南三陸町志津川 破壊された三陸町防災庁舎 2011.7.4(YK)

南三陸町の防災庁舎は、津波の来襲直前まで避難を呼びかけつづけ、自らは津波に呑まれ亡くなられた若い女性がいた庁舎。津波は屋上をこえ通信塔の上端ちかくに達した、町長はこの鉄塔にのぼり助かった。初めて訪れた5月下旬には、あまたのガレキと漂着物が庁舎にぶら下がり見るも無残な姿だった。その後、ガレキ類が除去され入口付近に献花台が設けられた、いまでは多くの人が訪れ香華を手向けている。

 

No.13 宮城県南三陸町志津川 山ぎわの被災家屋と夏草  撮影日不明(YK)

志津川の山ぎわにある被災家屋、津波は想像を超えた高さまで襲った。川を伝わり遡って押し寄せてきた。ガレキや漂着物が散乱する被災地、どこも夏草が繁茂している、その生命力の強さは驚き。

 

No.14 岩手県陸前高田市 残った「希望の松」  2011.9.18

陸前高田には7万本の防潮林「高田の松原」があった。津波はこれらすべてを倒し流出させた。ただ1本だけ生残った。いまは「希望の松」と呼ばれ、復興のシンボルになった。しかし、海水におかされ枯れ死寸前である。希望をつなぐため、二代目を育てようと懸命の努力が払われていると聞いた。

 

No.15 陸前高田市・米崎地区 生残ったヤマザクラ  2011.5.16

「つるさん」のボラツアーは5月15、16日の両日、陸前高田市で水田のガレキ撤去作業にあたった。田は堆積土砂に埋り大は流倒木、車、屋根材、家屋構造材、家電製品、濡れ畳、小は食器、カバン、衣類、アルバム、ノート、鉛筆まで、ありとあらゆるものが散乱していた。
まさに、3月11日の津波襲来まで営まれていた暮らしそのものが足元に存在し、埋っていたのである。だれもがつらさを抑え、粛々と作業をすすめていた。

 

その水田隅に、新芽を吹く一本の古木が存在している。幹にカキ養殖筏がぶら下がり、遠望するとカキ殻が藤の花に見えた。「つるさん」は、水田オーナーに「何の木か?」と、尋ねた。オーナーは古木を見上げ「ヤマザクラだよ、この一本だけ残った。潮を被っても花が咲いた、芽も吹いた、この木は生きる」と、眼をほそめながら答えた。オーナーはさらに「ことしは無理だが、来年は田植えをしたい」と言った。堆積する土砂、埋った水路、あぜ道すら定かではない。素人の目にはこの状態が一年で復旧できるとは思えない。しかし、オーナーが水田の復活に希望を託していることは、誰にもヒシヒシと伝わった。話を聴いた参加者が、懸命に作業を進めたことは言うまでもない。

 

依頼された水田は、人手で動かせない車と流倒木を除き、ガレキと漂着物がすべて撤去され、見た目にもきれいになった。心地よい疲労と少しでも役に立てた満足感、達成感にたっぷり浸った。そして、満面の笑顔と両手を振り、ボラが乗るバスを見送ってくれるオーナーの恵比寿顔、いまでも目に焼きついている。稲穂がみのり、傍らで葉を繁らせたヤマザクラの古木、赤とんぼ舞う秋の日、いつかこの水田を訪れてみたいと思う。これが「つるさん」の震災ボラ初体験である。

 

<続く>

 

このレポートはRQでボランティア活動に参加されたつるさんが、ご自宅に戻られてから丁寧にまとめて下さった「東日本大震災 震災ボラ・イラスト集(配布版) 2011年・悲しみの光景と絆 「つるさん」と「ボラ仲間」がみた被災地」のイラストとそれに添えられたつるさん自身の手になる解説を、つるさんの許可を得て編集を加えずそのまま掲載するものです。
※すべてのイラスト・文章の著作権はつるさんに帰属します。一切の転載・転用は固くお断りします。

 

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