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By イルゼ&モーゲンス

アンデルセンの国、デンマークからRQのボランティア活動に参加したモーゲンスさんと奥様のイルゼさん。一度投稿した内容に対してお礼を書いたところ、「もっといいのが出来たから!」と書き直してくださいました。日本旅行の飯塚さんのご協力を得て実現した、デンマークからの便り、和訳でお届します。原文もぜひご覧くださいね

 

日本を再訪することはわたしたちの長年の夢でした。日本の古い文化、工芸、禅、庭園といったものや、やさしくて親切な日本のひとたちがとても好きだからです。2011年3月11日の破滅的な地震で核災害と大津波が引き起こされ、わたしたちの計画は延期を余儀なくされました。しかし、なにか役にたちたい、実際に自分の目で災害の実態を見たいという気持ちが生まれました。

 

わたしたちは9月にJapanspecialisten (デンマークにある日本への旅行を企画する旅行会社) を利用して日本に行くことにしました。JapanspecialistenではRQ市民災害救援センターと連携して津波のがれき撤去のボランティア参加を企画していたのです。

何日かの東京での滞在ののち、わたしたちはRQに参加するグループと合流しました。アメリカからの3人の男性。失業中の日本の女性ツアーガイド2人。それからこのグループのリーダーで通訳のキョウコとわたしたち夫婦。アメリカ人のひとり、ジョンは、ニューオーリンズをカタリナ台風が襲った時に受けた恩返しにやってきました。テキサスのダラスから来たアンドリューは日本で働くことが夢。そしてラザロは日本で英語を教えたいとアメリカで勉強をしていたので日本語が上手でした。

 

ゴム長とヘルメット、マスク、ゴーグル、ゴム手袋を支給され、私たちのバスは6時間かけて松島に向けて北上しました。途中、福島原発のそばを通りました。全く安全な距離からでしたが、それでもやはりいろいろと考えてしまいました。

 (多くの建物や堤防が完全に流されてしまった光景)

わたしたちは日本式の宿屋「リョカン」に泊りました。とても熱いお湯の共用のお風呂、めずらしい食事、そしてタタミの上に薄いフトンを敷いて眠りました。
翌早朝に、車である体育館まで行きました。雨が激しかったので屋内での作業となったのです。仕事の内容は、見つかった個人的な品々を洗って種分けすることです。たとえばおもちゃ、通学カバン、個人的な書類や写真など。心動かされる体験でした。特に、持ち主たちの生死がわからないということが、わたしたちにとってこの作業をより感慨深いものにしました。

 (すっかりきれいになって持ち主を待つランドセルたち)

その後の幾日かは、長面浦という内湾で作業をしました。わたしたちは壊滅的な被害を受けた家々のまわりを片付けました。もし、あそこに住み続けようと思う人がいたら、数軒の家は撤去しないでも済んだのでしょうか。浦の反対側の家はすべて流されてしまいました。からっぽの家の土台だけが浅い水の中に残され、堤防は破壊されていました。

ここでの作業の内容は、砂や泥、がれきの撤去、その中から個人の持ち物を探しだすこと。そしてここに戻ってくる人たちのために、この悲惨な光景をすこしでもましにすることです。砂や泥は袋に15キロずつ詰めて、仮設の堤防に利用します。わたしたちのグループは士気も高く、みなとても熱心で、良いムードで働きました。リーダーのキョウコは面倒見が良いひとで、親切で明るく、わたしたちをやる気にさせてくれました。日本で見つけた良い友達です。わたしたちは今でもグループのメンバーと連絡を取り合っています。

RQのひとたちや、途中で知り合ったひとたちは皆、わたしたちが遠くからなにか役に立ちたいとやってきたことに深い感謝の意を示してくれました。

とても心動かされ、やりがいのあったボランティア活動が終わったあと、わたしたちはひきつづき津波被害を受けた地域にしばらく留まりました。キョウコが雄勝町という小さな漁村に民宿を見つけてくれました。この集落の100軒ほどの家はほぼすべて残りましたが、彼らの100隻の魚船はすべて失われました。漁師の方たちは岸壁に集まって、漂っている材木を片付けること以外、今はなにも出来なくなってしまいました。

 

イルゼさん、モーゲンスさん、そして日本旅行の飯塚さんのご厚意で掲載させていただきました。ありがとうございました。

 

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