2011年11月17日から19日にかけて、登米の東北現地本部を拠点に周辺の被災地を回った。津波で破壊された傷跡は深く、復興までの道のりは果てしなく長いことが分かる。震災から8カ月を過ぎた「今」を写真で紹介。

>すべての写真を見るgallery2011年11月17-19日 被災地の今

撮影マップ

より大きな地図で 2011年11月17日〜19日被災地の今(撮影マップ) を表示

地名の前の数字はgoogle mapに記載した数字

010 石巻市雄勝町水浜
東日本大震災 震災 石巻市雄勝町水浜
約130戸の集落があった石巻市雄勝(おがつ)町水浜地区。ほとんどが津波で失われたが、「住民は380人中、死者1人、行方不明者8人で全体の2%程度。背景には、地域で受け継がれてきた知恵や防災意識の高さがあった」(msn産経ニュース 被害を抑えた防災意識の高さ 石巻市水浜集落 2011.4.2)という。

011 石巻市雄勝町小島和田・雄勝公民館
東日本大震災 震災 雄勝公民館
震災当初から報道されたバスは、まだ屋上に載ったままだった。
「雄勝地区は集落20カ所のうち、15カ所が壊滅状態で、233人が死亡・行方不明となった。商店街や公共施設、病院、小中学校3校を失い、約3000人が地区外に避難。居住者は震災前の4300人から約1000人に減少した」(三陸河北新報社 雄勝復興住民案まとめ 2011.11.18)

012 石巻市雄勝町雄勝寺・雄勝中
東日本大震災 津波 石巻市雄勝町雄勝寺・雄勝中
雄勝中の生徒77人は全員無事だったが、校舎は津波の被害に。雄勝から約15キロ離れた石巻北高校飯野川校校舎の4階を間借りしている。>雄勝中HP

020 石巻市針岡・大川中学校
東日本大震災 津波 石巻市針岡 大川中学校
校舎の1階天井まで浸水したといわれる大川中学校。校庭には瓦礫が山のように積まれていた。>RQブログ「甦れ!大川中学校!!」

021 石巻市釜谷字山根・大川小学校
東日本大震災 津波 大川小学校
児童108名中70名が死亡、4名が行方不明、教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明となった大川小学校は、北上川(追波川)河口から約5kmの位置にある。校門前に設置された祭壇には、絶え間なく人が訪れていた。

022 石巻市北上町十三浜・白浜
東日本大震災 津波 石巻市北上町十三浜・白浜
「昭和8年3月3日 地震があったら津波の用心」と書かれた石碑が建つ白浜海岸。昭和三陸地震を記憶として残した石碑の隣は津波で壊れた車置き場となっていた。

023 石巻市北上町十三浜相川・相川小
東日本大震災 津波 石巻市北上町十三浜相川・相川小
帰宅した1名を除き児童71名が無事だった相川小学校。津波は屋上まで押し寄せたという。

030 南三陸町戸倉沖田・戸倉小
東日本大震災 津波 南三陸町戸倉沖田・戸倉小
校舎3階まで津波にのまれ、全壊した戸倉小学校。現在は登米市の旧善王寺小学校に移転している。
>津波被害の様子 戸倉小学校HP

031 南三陸町志津川
東日本大震災 津波 南三陸町志津川
震災被害前の人口は約8000人だった南三陸町の中心部・志津川。震災から8カ月以上経過しているが、津波で破壊された建物が数多く残ったままだ。

032 南三陸町志津川清水浜
東日本大震災 津波 南三陸町志津川清水浜
高架が津波で寸断された気仙沼線。

040 南三陸町歌津字伊里前
東日本大震災 津波 南三陸町歌津字伊里前
建物の撤去が進んだ歌津地区。流失家屋数は約700戸という。伊里前小学校の前から撮影。>被災当時の写真「RQ歌津センターの活動記録(初期)」

041 南三陸町歌津・平成の森
東日本大震災 津波 041南三陸町歌津・平成の森
約250戸の仮設住宅が建つ平成の森。紅葉がいたいたしいくらいきれいだ。

042 南三陸町歌津名足
東日本大震災 津波 南三陸町歌津名足
高台にある名足小学校は1階部分が津波で浸水。現在は伊里前小学校で授業を行っている。

050 気仙沼市本吉町・陸前小泉(小泉)
東日本大震災 津波 気仙沼市本吉町・陸前小泉(小泉)
津波で壊滅した小泉地区。RQ東北現地本部の小泉チームが地面に埋もれた瓦礫撤去作業を黙々と行っていた。

060 気仙沼市本吉町三島・大谷海岸
東日本大震災 津波 気仙沼市本吉町三島・大谷海岸
美しい砂浜と松林で賑わっていた大谷海岸。「震災前はこの位置から海は見えなかった」と仮設店舗でラーメン店を営む店主が言う。砂浜と松林がなくなり、押し寄せる波で浜が浸食してしまうため、黒い土嚢が積み上げられている。無残な光景。

061 気仙沼市松崎片浜
東日本大震災 津波 気仙沼市松崎片浜
「ボランティアにきたのか」と声をかけられ缶コーヒーをくれた養殖業のおじいさん。片浜地区230名中23名、養殖の仲間6名も津波で命を奪われたという。今後ここがどうなるかはまるで分からないと言ったが、明日、地域の小さな祭りがあるから見においでよと誘われた。

062気仙沼市街
東日本大震災 津波 気仙沼市街
地盤沈下による海水の浸水がとまらない気仙沼市街。津波火災の傷跡を残す建物も数多く残る。

070 気仙沼市唐桑町鮪立
東日本大震災 津波 気仙沼市唐桑町鮪立
唐桑半島の鮪立(しびだち)地区は、マグロ漁で家が建つためこの地名がついたともいわれている。当日、津波被害があった住居を取り壊すために、家財の運び出し作業をRQ唐桑ボランティアセンターと、かながわ災害ボランティアが共同で行っていた。

>すべての写真を見るgallery2011年11月17-19日 被災地の今

取材・撮影:RQウェブチーム やまなか

このエントリーをはてなブックマークに追加
Post to Google Buzz