この投稿文は次の言語で読めます: 英語

文・写真:K.露木
日本国外に長年住んでいる日本人で、現在はハワイに居住。6月にRQのボランティアに参加した。津波による漂流物が海流に乗ってハワイに到達したら、片付けに行こうと考えている。

 

電話が鳴ったのは3月10日の晩の9時頃だったでしょうか。「ハワイに津波警報が出されました。津波の到着時間は3月11日午前3時7分と予測されています」という録音メッセージで、「また、津波警報」と一瞬、思いました。太平洋の真ん中に位置するハワイでは、歴史的にもアラスカ、北南米、オセアニア、アジア、日本から津波が押し寄せてきても不思議ではありません。昨年もチリの地震の後、津波警報が出されましたが、警報のみですみました。テレビをつけてニュースを見て、一瞬でも「また津波警報」と思った私自身を恥ずかしく思いました。

その日からテレビやインターネットでニュースを見ずにはいられないのと同時に、ただ見ているのは耐えられませんでした。何ができるのかわからないけれど、とにかくあちらへ行って何かをしたい。交通手段も、泊まる所も、役にたつような手に職もないけれど。2~3か月、インターネットで探した末、6月にRQのボランティアに参加することにしました。

テレビやインターネットで被災の状況は何度も見てはいましたが、実際にその場に立つと、悲しいのと自然の恐ろしさで言葉がでませんでした。ビルの屋上に乗った車、海からかなり離れた場所の漁船、流されてかろうじて線路や防波堤にひっかかっている家、グニャと曲げられて切断された線路、土台だけ残っている橋、海水につかって茶色になってしまった木々、破壊と生き残った諸々の物の境界線。

20日間を目標にはしたけれど、実際、20日間も生き延びられるかどうかもわからず、とにかく何でもできることをしたかったんです。支援物資の整理から、避難所や仮設に住んでいる方々のお話相手、総務の助っ人、田んぼや歩道、家の周り、津波の被害を被った家の床下や溝の瓦礫の片付け、片付け時に見つけた所有者のわかる品々のクリーニングに参加させていただきました。わかめ養殖のいかだのアンカー作りにも参加させていただきました。石を袋にいれるのは大変な重労働で、私はあまり助けにはならなかったんでしょうが。このような作業にも参加を許してくださった漁師さんには感謝しなければなりません。

今、目の前や周りにある物が、数分の後に全部、なくなってしまうって想像してみてください。瓦礫の片付けでは小から大まで、とにかく色々な物をみつけました。ご飯茶碗、毛布、布団、ずぼん、缶ビール、醤油、ガラスの破片、ビデオテープ、木、洗濯機、木材、戸、トラクター、屋根の一部。。。今は瓦礫と呼ばれてしまっているけれど、どれも、持ち主がいてだれかが使っていた物なんです。泥にまみれた名前の判別できる小学生の学習帳を見つけた時には、涙を止めることができませんでした。この男の子は助かったんだろうか。クリーニングをするためにアルバムから写真を取り出している時、銀行の通帳、学生証、運転免許証、等をクリーニングしている時も、こんな思いをしました。この持ち主は無事でどこかにいるんだろうか。。。

東日本大震災 RQ ボランティア 切断された鉄道(気仙沼線)の陸橋とその上に残された家
切断された鉄道(気仙沼線)の陸橋とその上に残された家

東日本大震災 RQ ボランティア がれきと生き残った家
がれきと生き残った家

東日本大震災 RQ ボランティア 歌津での写真クリーニング
歌津での写真クリーニング

東日本大震災 RQ ボランティア 小泉の田んぼの瓦礫片付け
小泉の田んぼの瓦礫片付け

東日本大震災 RQ ボランティア 唐桑でのいかだ用土俵作り
唐桑でのいかだ用土俵作り

 

様々な場所からきた様々な方々にボランティア中にお会いしました。学生、勤め先から休みを取ってきた方々、個人営業者、主婦、定年退職者、中国やモンゴルから日本への留学生、韓国からのグループと個人参加者、私も含めて海外居住の日本人。だれもが何かしたくて参加していました。だれに指示されたわけでもないのに、だれもが自分の役割をみつけているのは驚きでした。みんなの何かしたいという気持ちで、名前すら知らないのにチームワークができました。震災直後からずっとボランティアをしている方々にも何人かお会いしました。頭がさがります。

こちらにもどってきて、ボランティアについて話すと、「泥棒とか騒動はあったの?」と尋ねられました。私の住むこの国では悲しいことに、災害の後、火事場泥棒や騒動といった人為の悪い事件もおこります。「全く、逆で、みんな助けあって、分けあおうとしているんだよ」と答えました。RQの周りに住んでいる方は新鮮な野菜や調理済みの野菜、とりたての海の幸を持ってきてくださり、食事がリッチになりました。全てなくしたという避難所住まいの元漁師さんですら、避難所で受け取った食べ物を分けよう、と持ってきてくださり、罪悪感にかられながらも、受けとらざるを得ませんでした。RQのボランティアにお風呂を提供してくだるご家族もいます。見ず知らずの人が入れ替わり立ち代り、自宅のお風呂に入りにくるなんて、想像できますか。食べ物やお風呂を提供してくださる方々は体が悪くてとか、時間がないんで、こんなことしかできないからと言います。こんな立場に立ったら、同じようなことが私達にはできるんでしょうか。

東北は山に田んぼ、森、リアス式の海岸と、とてもきれいな所です。あまり聞くことのないウグイスの鳴き声はどこへ行っても聞こえました。幸いにも源氏ボタルも見ることができました。東北へは何かをしようと思い行きましたが、得た物の方が多いです。この地方の自然の美しさ、見返りを期待せずに何かしようという人々の気持ち、 今回、東北へ行くまで、日本では失われつつあると思っていた他の人への思いやりと分けあうこと、様々な人との一体感とつながり、といった発見です。大震災という悲しいきっかけですが、このような機会を提供してくれたRQにありがとう、と言わねばなりません。また、東北地方には何らかのかたちでつながりをもてたら、と願っています。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Post to Google Buzz