〜広瀬敏通 2011年5月7日(土)東京本部「現地ボランティア説明会」にて〜
【RQ市民災害救援センター活動レポート・番外編】

 
 

「モノから人へ」

今、避難所や被災地の皆さんは、どんどん流動化していて、仮設はまだなかなかできていないのですが、内陸の様々な所に設置された避難所に移動しています。現場から離れ始めています。

現場にいたほうが、家の周りのがれきの中からモノを拾うこともできるし、行方不明の家族の安否を見届けたいという気持ちもあるから現場から離れたくない。でも、もうそういう人たちが避難所として使っていた場所や小さな公民館や学校等は、仮設住宅を建てるということになって、避難所を閉じるような方向にきています。その結果、(避難所や被災地の皆さん)どんどん内陸に行くようになっていて、これは喜ばしいかどうか一概に言えない状況です。非常に不安感を伴う措置なわけです。そんなような流動が今起きている。

 
で、私たちは物資の支援から入りましたが、二週間ほどで一通り緊急的な物資を必要とする人のところにとりあえず手をつけることができた。そこから「モノからヒトへ」という合い言葉を使って、ようやく最初からやりたかった、人の「笑顔」とか「元気」を届けるという仕事を同時にやろうということにシフトしていきました。

 
それまでもモノを届ける時に、「はい、どうぞ使って下さい」というだけではなくて、必ず会話して、「どんな状況ですか?」「どんなもの必要としていますか?」「これからどういうモノが必要になるのでしょう?」などいろんな話をしながら被災者の状況等を聞き取る、ということをするのを、RQのメンバーには義務づけたのです。その結果たくさんの情報が私たちのところへ寄せられました。

 
情報だけでなく、大事な点はもうひとつ、「モノから人へ」の合言葉通り、被災者の皆さんが、モノを受け取るだけの自分の状態にものすごく抵抗感を持っていたのですね。だって、3月11日前までは、皆それぞれ立派な市民ですから、漁師をやっていたり、山仕事やっていたりしていた人たちなんです。それが家を失い路頭に迷い、一方的にモノを受け取るだけの境遇になってしまった。これは当然、ものすごく抵抗感がある。受け入れられないわけですね。

 
そこに私たちRQのメンバーがモノを届けるだけではなくて、おしゃべりをすることを通して何が生まれてきたかというと、「お返し」が続々と生まれてきたのです。お茶を入れてもらう、自分たちでつけたおしんこを食べさせてもらう、魚をもらってくる、よその親族からもらったものをお裾分けしてもらう、そういうのが続々と始まってきて、これには最初ボランティアの人たちは戸惑ってしまった。「私たちは助けに行きモノを届けに行ったのに、なんでもらってきてしまうんだ」と。ところが私は「喜んで受け取ろう」と皆に言ってきました。その意味は、被災した人たちにとって、もてなしをすることで、対等の関係を確認することができるからです。つまり、生きているプライドをそこで取り戻すことができる。そういう行為なわけですから、すごく効果があったと思っています。今も私は被災者の方からいただいたフカヒレの味が残っていたりします(笑)。本当に普段口にできないものをもらったりしました。

 

地域の再生への貢献へ

今後は、モノから始まってヒト、モノも避難所などまだまだ緊急支援が続いている人たちには届けているわけですが、地域の経済が生まれてきている、お店がオープンしてきているので、そういう所に買い物に行ける人は行ってもらうことを薦めています。避難所の人たちにも送迎等をして買い物をしてもらう、という活動も始めています。ただ、全くお金も失っている人もいるわけで、そういう人たちは緊急支援期がまだ続きます。したがって、モノの配送は現在も続いています。

 
ただ、モノの中味はずいぶん変わってきました。当初は防寒の服が欲しいとか、食べるものだったらなんでもいいとかでしたが、今は、自分で調理できる調味料が欲しいとか、春ものの服が欲しいとか、女性だったら下着をたくさんもらっても自分に合わないサイズは逆にストレスになるから自分に合うものが欲しいとか、口紅、爪切り、裁縫用具が欲しいとか、細々した日常生活をもう一度蘇らせるようなニーズが非常に高いです。

 
そんなようなものを私たちは今後も続けていこうと思っています。同時に私たちがこれからやらなければいけないのは、地域がこれからどう再生していくのか、ということ。今、行政は仮設住宅をどんどん作るという方向に全面投入です。とにかく小学校の校庭だろうがどこだろうが、空いている所には仮設住宅を作っています。それは緊急的には確かに理解できますが、仮設住宅は二年間のテンポラリーな住宅です。仮設住宅が建っているために、本格的な地域再生、地域計画がとれなくなるという事態も、過去の災害で起きています。

 
今の段階で、グランドデザインというか、地域の再生のビジョンを同時に書いていく、というのが非常に大事です。いろいろな人が提言も始めています。たとえば、放射能の問題を引き起こした原子力によらない自然エネルギーの街を作ったらどうかとか、地域の人たちのコミュニティを壊さないようなまちづくりを最初から復興住宅の中に組み入れたらどうか、とか。RQもそうしたビジョンをもうすでにいろいろな形で組み立て始めていて、そこに向けた支援、けっこう長期的な支援ですよね、そういう体制をとらなければならないと思っています。

 
そのためにいろんな企業の人たちにも参加してもらいたい、という呼びかけをこの間ずっとやっています。これまで様々な企業の人たちが入ってきてくれました。今、かたづけ作業や物資の配送や様々なボランティアの活動に、日本旅行だとかアミタだとかいろいろな企業の人たちが入ってくれました。今後は、ボランティアの一員としてだけではなく、企業の本業として、企業の専門や強みを活かして、現地に関わってもらうような、プロジェクトを作って下さい、そういう呼びかけをしているところです。

 

長期的な視野で

このようなことをこれから私たちは長期的な視野で進めていきたいと思っているわけですが、あのRQ市民災害救援センターを作った時に、いつまでのフェーズで活動をやるのか、というのを最初に出しました。それは6月30日までです。その根拠は、通常これまでの災害では、3ヶ月がだいたい緊急支援期だった。ですから、そこをめどにしました。

 
では7月1日から全部撤退してしまうのか、というとそれはあり得ないですね。仮設住宅の入居も、8月までに全部やると管首相が言いましたが、それを担当している国交省は、無理ですと訴えています。地元自治体も無理だと。仮設住宅に入るまでに9月、10月、あるいは年越しも予想されているわけですね。そうすると、現在の被災者の状況はずっと続きます。仮設に入ったとしても、今度は仮設に入ると、炊き出しも物資の支援もなくなります。そうすると、仮設に入っても、「これからどうやって生きていったらいいんだ」「何を食ったらいいんだ」と、特にお金持っていない人はそういう問題にぶち当たるわけです。そこをどう支えていったらいいのか、というのも必要です。

 
阪神の時に、仮設住宅に入って一、二ヶ月後に孤独死や自死がものすごい数起きたのです。それを考えると、私たちは仮設に入ることがゴールだとは全く思えないのです。ということで、それ以降もさらに必要な支援があると思っています。

 

おびただしいがれきの撤去

この地域は、おびただしいがれきがあります。がれきというのは重たい建物や建造物のコンクリート、鉄、木材、プラスチック、などなどの重いがれき、これは今自衛隊がものすごい勢いで、地元の建設業者も雇用しながら、かたづけています。仙台、石巻までは仙台平野が広がっているわけですが、そこから北の三陸のリアス式海岸というのは山が海に迫っています。その山と海のわずかな隙間に市街地がずっと帯のように続いていたのが、今全部消えている、という状況です。

 
で、その山肌におびただしい量の漂流物(我々は「ゴミ」という言葉はどうも抵抗感があるのですが、それは3月11日まではゴミではなかった、大事な生活の道具だったわけですから)が延々とある。それが6月の草が伸びる時期を越えてしまうと、撤去が本当に大変になります。だから草の出る前に大量のボランティアでできないか、ということをRQでは呼びかけてきた。連休中かなり始めることができましたが、「進みました」ではなく、「始めることができました」という状況です。本当にまだ点のようなわずかな場所ばかりです。社協のボランティアセンターも、ほとんど例外なくがれきの撤去に仕事を絞っています。大変シンプルだしわかりやすいし、大量の人を動員できる場所だからです。

 
RQは、人の笑顔や心を届けるような、多彩な活動をやっているので、がれきの撤去はその中の一部なのですが、その一部のがれきの撤去だけでも一年や二年続くかもしれない、ということがある。これをかたづけない限り、地元の人たち、被災者の皆さんは元気になれない。おびただしい漂流物が山肌にへばりついて、目をむけることができない状態でいて、それをなんとかやりたいということを我々のタスクとして考えている。
 
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