2011/06/18(土)  06:19AM 登米現地本部に到着
 
おはようございます。なんとか、登米現地本部に到着です。しかし道に迷ったタイムロスで、遅刻。どれだけ怒られるんだろう、とびくびくしながら到着です。そんな新橋号を総務の新垣さんが笑顔で迎える姿を見て、心が緩みましたー。


 
2011/06/18 (土) 7:19AM 河北ボラセンに到着
 
もう少しで、目的地、河北。到着する直前のトイレ休憩で全員、今日の活動にすぐに飛びだせる服装に着替えます。つなぎやカッパに長靴の定番スタイルで準備万端。

河北ボラセンにつくと、あたりから、ほんのりいい香りが漂っているのに気がつきました。柏餅の匂い?…あ、これ、違う。桜の木の匂い。この香りを空気と一緒に深く吸い込みました。

 

総務の荒納さんがテキパキと指示を出して寝ぼけまなこのみんなに喝を入れていきます。

通常RQのボランティアはオレンジ色のRQロゴ入りビブス(かっこいい)着用なのですが、新橋号乗組員は全員、さわやかなライムグリーン(ガムテにRQって書いて貼ってある)のビブスを渡され、さらに緊張感が増します。

 
 
2011/06/18 (土) 09:00AM 小渕浜へ、コキーユ・サンジャックを探して
 
河北ボラセンから車で1時間離れた小渕浜へ向かいます。出発してすぐに、自衛隊の白く大きなテントと、ズラリと並んだカーキ色の車両を見て、ズーンと重いものが体の中を走りました。

そして、ある川を境に、唐突に風景は一変します。

 

それは愕然とするような光景でした。

見渡す限りの茶枯れた色の瓦礫。骨組みだけになったビルのむこうに、同じように1階部分を失った建物が、布のようなものをだらりとぶら下げながら立ち並んでいます。不気味な空間です。目をそらすことができません。

バスには沖縄や九州からの参加者もいて、これほどの惨状は想像もつかなかったことでしょう。

バスからこの景色をカメラにおさめるみんなのシャッター音がいつまでもなり続けていました。

このダリの絵のような、悪夢を形にしたような街をぬけ、山を超えると、

 また浜側に出て、今度は重機で撤去された赤錆びた鉄の塊が山と積まれていました。

やがて小渕浜につきました。海辺と聞いて、魚の腐敗臭がすごいのかな、と想像していましたが、実に穏やかな潮の香がします。ちょっとほっとしました。

そして、被災現場を目にしたばかりの私たちを励ますように、元気で爽やかなリーダーたちが、今日の仕事を指示するべく、待っていました。

「皆さんに今日やってもらいたいのは、ホタテ貝のカラの綺麗なのを集めてもらうことです。」見渡す限りの泥まみれの貝だか漁具だかが入り混じっている港を背に、その日の作業が始まりました。

カキを養殖するために使用する貝の殻が、津波で砂まみれになったり、割れたりしたので、使えるものだけを拾って行くのです。

三十人くらいのボランティアが一斉に貝拾いです。泥にまみれていれば落とし、使えるかどうか割れや欠けの具合を見て選別していきます。

ホタテ貝など、身の部分しかお目にかかることのない私は、ホタテ貝の美しさには心を奪われました。大理石のように白いものもあればバラ色のものもあり、波打つようなレリーフが美しい文様をつけています。ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のあの貝の美しさと言えばよいでしょうか。

貝を籠いっぱいに集めてはトラックに積み込み、の繰り返しですが、「こういうのは、コドモと親とが一緒にやると食育になるよね」「カキを粗末にするやつは俺が許さんっ」など、作業を通して海の幸に寄せる想いが自分の心のなかにはぐぐまれていくようです。

 
2011/06/18 (土) 11:00AM 小渕浜の物語をきく
 
休憩時間に、今日の作業のリーダーのケンさんにお話を伺うことができました。

この小渕浜は若い漁師さんも多く、特産のメカブ、ワカメやアナゴ、カキ漁がさかんな港でした。地震当日、船を守る為、海の男達は船に乗って沖に向かって行ったそうです。カキ漁の筏が、ジェット機並みの津波の引き潮に千切られて恐ろしいスピードで船を追い越し、押し寄せてくるのを何とかよけながら、命をかけて船を守ったそうです。

その頃、浜では二方向からの津波が漁村を呑み込み、人も、家も、家財道具も、全てが波にさらわれてゆきました。漁師さんが命からがらたどり着いた浜には信じがたい光景がひろがり、家族が姿を消していたのです。

仕事も家族も友人も無くして、どうしてすぐに立ち直れたでしょう。二週間というもの、誰も浜など見たくもなく、うちにひきこもっていたといいます。

砂のなかからかわいらしいリュックや印鑑が・・
 
そこへ、被災地支援をしに、ぽつりぽつり、ボランティアの人たちが姿を見せました。漁師の方にしてみれば、こんなのどうしようもない、というあきらめの気持ちだったでしょう。それでもボランティアの人たちは、「やらせてもらっていいですか?」と了解を取り付けて片づけを始めます。

おや? なんか片付け始めたな? 何人かの漁師さん達の間に僅かな、でも確かなものが生まれました。それは、やればできるんじゃないか? という半信半疑のものだったかもしれません。はたしてそれが、「希望」などと軽々しくひとことで言えるようなものであったかは、私にはわかりません。確かなことは、目の前で、変化の胎動を感じたということだけです。


 
2011/06/18 (土) 12:30PM  組合長さんとの再会
 
新橋義援隊の女性陣が突然、現場に現れた、黒いスーツの男性に向って走り出しました。

 「あ、組合長さんじゃない?」「くーみあーいちょーさーん~~!」

そのかたは、表浜漁業組合(正式名称は、宮城県漁業協同組合表浜支所)の組合長さんでした。今日は震災からちょうど百日。その法要の帰りに立ち寄られたようでした。潮の香に、線香の匂いが混じります。満面笑顔の組合長さんは、義援隊の方の顔を見て「よく来たねー!」と本当に嬉しそう。新橋義援隊の女性陣とは顔なじみらしく、「前回一緒に撮った写真を持ってきました」と渡されていました。それを受け取る組合長さんの目じりはさがりっぱなしです。

「俺さ、この日まで笑うことなんかなかったんだよ。初めて笑ったんだよ」、被災間もない頃の心が疲れきった日々の中で、初めて笑えたのが彼女達の暖かい人間性と明るさだったそうです。

そこに、法要から戻られた何人かの方が、海に向かって花を投げながら、「おばあちゃんどこにいるのーっ?」って叫んでいるのが目に入りました。言葉がでません。実際、ここでは今も捜索のヘリがときおり飛んでいるのです。

組合長さんが、遠くのほうにうずたかく積まれた瓦礫の山を指差して、

「あれは、たった二日であんだけ集まったんだ。このさきどんだけになるか、わからん」とおっしゃっていました。

漁業組合の大きな建物も1階は瓦礫に埋まり、ようやく撤去が終わったところということでした。しばらくは、なにもない、がらんどうの状態のままにしておくそうです。

みんなのほうに向きなおって、組合長さんが、「男はいらねえから、あんたら、こんど一杯やろうな。俺、最近肝臓が強くなったみたいなんだー。来てくれて嬉しいよー!」と切り出すと、「ほんと?来る来る!どこ泊まればいいの?」「ここ(表浜漁業組合の建物)の2階片付いたから。寝袋もあるから。(片付けに来た人が)いっぱい置いてってくれたんだ。くればいいよ~」とさっそく次の再会の打ち合わせ。

傍で見ていて、何度も通っている新橋義援隊の支援って、こうなんだって初めて知ることができました。地元の方にとって、「来て、笑顔にしてくれたら、あとは自分らが頑張るから、それだけでいい」。そんな気持ちにしてくれる存在になっている。そういう支援のかたちがそこにありました。

この日も、みなさんで写真をまた一枚撮ることとなり、私がシャッターを切りました。この場面に立ち会えたことが、すごくうれしい。
 
2011/06/18 (土) 12:50PM  運転手さんと瓦礫を眺める
 
行きのバスで、見事に道に迷いハラハラさせてくれた運転手さん。小高い場所にある小さな休憩所でタバコをくゆらしてる。

話しかけてみました。運転手さんちょっと道に迷ってること気にしてるのかな、と余計なことを考えながら。

いろいろ、教えてくれました。観光バスに乗り始めて四十年。あらゆる観光地、それこそ松島だとか、風光明媚な宮城の名所も巡って沢山のお客さんを運んで来たこと、今回が被災地に行くのが初めてで、営業マンがルートを下調べしてくれたけど、住所が間違っていたため、道を間違えてしまったこと。被災地はもとは美しい景観だったんだから、あっちの綺麗な島も写真にとったほうがいいよ。

そんなことを、しっちゃかめっちゃかに壊された公園を眺めながら、聞いていました。2人がもたれながら話している手すりだって、いつ崩れてもおかしくない歪み方なのに、なんだか穏やかな時間が流れていました。

 
2011/06/18 (土) 15:00PM  満 潮
 
午後3時には潮が満ちてくるので、1m以上地盤の沈下した作業場は、水に沈んでしまうため、作業を切り上げなければなりません。

潮の満ち方は気配もなく、あまりにゆっくりと忍び寄るので、気付いた時には水が地面の割れ目からみるみる上がって広がってくる、といった感じで、不気味でした。

少ししかいなかったはずの小渕浜。なのに、いろんな方とお話することで、いろいろな追体験をし、いくつもの旅をして戻って来た気分でした。
 
(ここだけの話)
 
ところで、作業リーダーのケンさんに伺った話ですが、この浜のそばには、鳥海さん、とのみさんと呼ぶんですが、神社があります。そのご神体、津波でもってかれてしまったので、地元の山伏さん(!)が手ずから掘り、奉納されたそうです。私は山伏さんというところでかなり引っかかっており、神主さんじゃなくて、山伏さんなんですか?とケンさんにきくと、「その辺の山で滝に打たれたりしてますよ。確かにあんま、いないですよね」とアッサリ…。いまだに謎です。
 
<戻る続く>
 
(WEBチーム Dylan Sanders)

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