2011/06/18 (土) 17:00PM  新橋義援隊・隊員の告白
 

ここで河北ボラセン泊の新橋号メンバーとはしばしお別れ。

新橋義援隊と私は新橋号に再び乗りこみ、今日の宿に移動します。

ここで新橋号について、ご存じないかたにご説明を。

新橋号は、もともと、新橋義援隊が現地に向かうためにチャーターしている、

週末限定の東京―登米・河北間の往復バスです。平日は仕事があり、業務に穴があけられない社会人に、週末だけのボランティアのチャンスを広げ、大人気!

そして、新橋義援隊とは、とある企業の有志が毎週被災地に繰り出し支援活動を行う、

知る人ぞ知るシークレット・プロジェクト。

メンバーの中にはRQ河北ボラセンの総務を1週間務めた方もいらっしゃいます。

RQ以外でも釜石など他の活動拠点でも活動実績があり、今回の被災地支援に尽力されています。

もともと、この新橋号のユニークな取り組みに興味があった私は、

「WEBチームの使命として密着取材を行うッ」を大義名分に「すみません同行させてください~」とお願いしてのこのことついてきたというわけなのです。どこの馬の骨とも知らない女をそれでも義援隊のみなさまは出発当初から温かく迎えてくださいました。
 
義援隊女性メンバーのみなさん
 
宿への移動の間、車中で、メンバー同士の自己紹介が始まりました。毎回メンバーは入れ替わっているようです。

今回はるばる九州や沖縄からも参加されている方が数名いらっしゃいました。義援隊の人脈の広さと、この会社の人情に厚い社風を感じます。

「何かしたいと思っていたのですが、会社の給料がアレなので募金貧乏になってしまって(笑)・・行きにくいと思っていたのですが、この話を聞いてやってきました」と笑顔です。

 

熱い気持ちは灼けた砂にも負けない男性メンバー!
 
被災地に入るのはもう6回目、釜石や気仙沼、石巻にも足を運び、「人が現地に行くことが大切だと思います。関心を持つということが大事だと思う」という女性は、次のようなお話しをしてくださいました。

「被災地に支援に行くと、名簿の住所と突き合わせて郵便物を整えていく仕事があります。なんでもないことのようですが、現地の方には知っている方のお名前を目にするだけでも精神的なダメージがあるものです。また、写真の洗浄の作業にしても、お知り合いや家族の姿を目にするのも辛い方もいらっしゃいます。そういった意味で、感情移入をすることのない、私たちのような立場の人間がやったほうがよい作業がたくさんあります」

連休中には、RQ河北ボラセンで1週間にわたり総務で活動された方も2名いらっしゃいました。普段は会社では日本を訪問する海外のお客様向けのお仕事をされているそうですが、震災後、やはり訪日のお客様は激減したそうです。そのひどさは

「SARS、円高、湾岸戦争、いろいろと経験してきたが、今度の震災はくらべものにならない」ほどだということです。それでもなかには、日本で何かボランティアをしたいができることはないか、情報はないかとのお問い合わせもきているとのこと。ありがたいことです。

ご家族を説得してきたというお父さんもいらっしゃいました。共働きの奥様より早く家に戻り、掃除機をかけ、洗濯を済ませ、ご飯を炊いて、家を出てきたという涙ぐましいエピソード。それだけに、支援活動にかける熱い気持ちが伝わってきます。

なかには、義援隊が勤務する会社に知り合いがいて、たまたま声をかけてもらって、そのまま、週末ごとに被災地に通い続けている若者もいました。

彼はいつもきまったツナギを着て作業をします。仕事で初めて石巻に来たときに着ていたものだそうです。
きっとそのとき見た風景からは想像もできないくらい変わり果てた石巻を見て、ショックだったことでしょう。
このツナギを着ることで最初のころの気持ちに帰ろうとしているのかもしれません。

ツナギ君のよこのおじさんは、作業中にアメをくださったり、お湯を用意してくださったりした地元の方です。ほんとに、お世話になりました・・・
 

隊長からは、こんなお話がありました。

「この活動は、会社のためにはやってない。利益のためにはやってない。そしていろんな方に義援隊のメンバーになってほしいんです。こういう活動を支えるのは、活動する人の想い、使命感です」

RQの広瀬さんからは、支援活動の当初から、いずれは企業体として被災地に積極的に関わってほしいとの要望があったそうです。なぜなら、その業界は、人を全国から運ぶことができるから。

ほんとうに、多くの方が東北に足を運んで頂くことがなによりもこれからは大切になってくるでしょう。もうかる仕事ではありません。今日拾ったホタテ貝でカキが一人前に育つには数年かかるといいますが、きっと産業界も息の長い取り組みが求められると思います。新橋義援隊がその核となって、大きく育っていくことを願わずにはいられませんでした。この火を消してはいけません。
 
みんなの話を運転しながら聞いていたバスの運転手さんが、マイクを。

「おれ、みんなの話をきいて恥ずかしくなってきちゃってね。最初は被災地なんかやだなーって思って来たんだけど、

みんなとこうしてきてね、いろんなもの見て、話聞いてるうちに、自分も、奥さんも60才なんだけど、なにかボランティアできないかな、と思ってね」と、トツトツとおっしゃいます。なんかジーンときてしまって・・・。

やっぱり、どんな人でも現地にくると感じるものがあるはずだから、たくさんの人に来て頂くこと、共感することが第一歩なのかなとしみじみ感じた夜でした。

そんな話が続く中、車が走る高速の海側にも、被災地が広がっていました。


 
2011/06/18 (土) 19:00PM  宿に到着
 
やがてバスは今日の宿に入ります。地元にお金を落とす。これもちゃんとした復興支援なのです。地元経済の活性化に一役買うことなしに、復興はないのです。しかも、この宿、震災後いちはやく災害支援ボランティアの宿泊優待を行われていたそうで、駐車場は大型車や災害支援の車で一杯です。
早く、こういうところが一般のお客様を迎え、人生を楽しむための宿に戻って欲しいな、と感じました。

最近RQに対して「ボランティアツアーなどけしからん」という意見も一部にあるようですが、知らないで批判するのはたやすいことです。

語感に騙されず、本質をみないで拒否していいのか、本当にするべき支援のチャンスをつぶしてしまうことにならないか、
みんなが、真剣に考えるときに来ていると思いました。
 
<戻る続く>
 
(WEBチーム Dylan Sanders)

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