謹賀新年
 
2012年1月1日
 
2011年は、本当に様々・・・多くの人にとって悲喜こもごもの1年であったと思います。
その2011年は幕を閉じ、新たな年が明けました。
登米の鱒淵小では、穏やかな、そしていつもと変わらない朝を迎えました。
(ボランティアからの差し入れがあり、いつもより豪華な朝食を頂きました。ありがとうボランティアのBirdSeaさん)
 
 
元旦は南三陸町志津川の中瀬町へ。
 
いのりさんという方を筆頭に、和太鼓とお囃子、獅子舞を披露してくださるチームが名古屋から来てくれており、元日の朝は中瀬町仮設住宅にて演奏するということで、同行させていただきました。
 
 

 
獅子舞から頭を噛んでもらい厄よけ、無病息災を願うのですが、
獅子舞を怖がって逃げ回る小さい子がいて、周囲の大人たちはそれを見て笑ったり、癒されたり。
その子どもたちは獅子舞が終わった後も様子をうかがうためひょこっとのぞいてみたりして、とてもとてもかわいいお子さんでした。
 
仮設住宅の生活において子どもたちは、希望であり、光であり、癒しです。
お休みのためか、お正月で帰省されたのか、お若い方も結構いらして、
いつも以上に賑やかで、お正月らしい和やかな雰囲気が流れていました。
 
帰り際に、地元の方同士が、「今年こそは良い年にしような!」と声をかけておられました。
僕はそこにお声をかけることはできませんでしたが、「微力ながら、できるかぎりのお手伝いは致します」と決意を新たにしました。
 
 

 
いのりさんたちはその後、気仙沼市内の広場・仮設住宅行脚に出発しました。気仙沼での様子は唐桑VCのブログにも紹介されています。
 
 
一年の始めを中瀬町の方々と過ごせたことは、大変に嬉しいことでした。
鱒淵小の校舎や中瀬町の仮設住宅でお見かけしたことがあり、あちらは僕のことを知らないであろう方も、お声をかけると笑顔でお返事してくださり、
お元気そうなお顔を拝見できて、久々に遠方の親戚に会ったような感覚を覚えました。
 
 
そして年末年始を東北で過ごせたことは喜びであり幸せなことでした。
 
生まれた土地ではない場所で年を越す、それは被災地ということに限らず、様々な初体験の場でもありました。
 
氷の上に乗ってみたり(これは危ないと叱られましたが)、子どもたちと10センチ近い氷を割って遊んだり、熟れた渋柿を食べてみたり、
被災地の今を見るツアーではまだ行ったことのない地域に行って、話しを聞いて、現状を見て。
そして以前来た時にはなかった仮設仕様の商店街で買い物したり食事したり。
 

気仙沼の復興屋台村で食べたカニです。美味しゅうございました。
 
 
刻一刻と変わっていく被災地において、支援の形も変わればボランティアのあり方も変わってきます。
やはりできることなら今を見て、知り、何が必要か、何が求められているのか、そして自分には何ができるのかを考え直すことが大切だと感じました。
 
 
また、RQの現地での活動に関わった人間として、RQの東京での活動に関わった人間として、遠隔地である東京からいかに被災地の支援と復興を支えていくのか。
 
このブログを読んで下さっている、まだRQへ、被災地へ足を運んだことのない人が、どうすれば安心して行けるのか、安心して現地で過ごせるのか、
どうすれば一度来てもらった人にまた来てもらえるのか、
どのようにして全国各地でできる支援に携わっていただくか、
そのための環境を整備していく、その情報を伝えていくことの重要性と必要性を再認識しました。
 

中瀬町の子供たちが渋柿に顔を書いていました
 
 
 
中瀬町を出た後は、初めて来た方に南三陸町志津川をご案内し(ガレキ置き場と南三陸町防災対策庁舎)、
午後には鱒淵小に戻って来ました。
僕も実際に志津川の(元)中心商業地区に降り立ったのは初めてでした。
 


 
 
鱒淵小に戻ってからはそれぞれゆっくり過ごします。
夜は食堂でのんびりゆるゆると。積もる話を。
 
人が少ないときからいる人は、
「人が集まると広い食堂もあったまるねえ」なんて言いつつ。
 

 
この中には元日に到着したツワモノもいます。
この方は8月の14日15日16日とお盆まっただ中、暑い、人の多い時期に参加して、今回この寒いときに2回目の参加だそうです。それも京都から!
まとまった休みがお正月にしかとれなくて今回の参加を決めたそうです。
なかなかの行動力に脱帽。
脱帽・・・そういえばこの方は美容師さん。
帰りのクルマの中で「ハサミを持ってくればよかった。カットしがいがある人がたくさんいましたね」(鱒淵小にいるあの人やこの人)とおっしゃっていました。
 
 
by ぐっちょん

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