RQの活動から帰ってきて2週間が経過しました。少し古い話になりますが、ブログに投稿します。

 

5月29日(日)、旧本吉町の大沢コミュニティで避難所の解散式が行われました。

 大沢コミュニティは、学校や公民館といった行政施設ではなく、民間の避難所です。津波被害を逃れた熊谷牛乳店が、地元有志が結成した「大沢地区災害対策本部」に車庫や倉庫、広場を提供し、被災者を受け入れ支援してきました。この避難所が、緊急避難の役割を終えたとして、5月31日をもって解散することになりました。

 

僕は温泉送迎の活動を通じて、このコミュニティとお付き合いがあり、解散式に招待されました。RQの他チームのメンバーは、臼と杵を貸し出して餅つきの手伝いをすることになっていました。

 午前9時半すぎ、温泉送迎のメンバーは少し遅れて大沢に到着しました。すでに準備は万端、まもなく餅つきがはじまりました。

奥様がこねてご主人がつく。その手際の良さに司会者から、「さすがご夫婦、息が合っていますね。」と一言。すると会場からは、「家の外ではなあ。」と野次が飛び、会場は笑いに包まれました。

 

 餅つきが一段落すると、今度は「大沢音頭」のメロディに乗って踊りの輪ができました。大沢音頭は地元有志により作詞・作曲され、大沢の祭りには欠かせないものになっているそうです。

 

 今度はRQメンバーの出番です。紙芝居と和太鼓を披露しました。

 お待ちかねの、あずきときな粉のお餅が振る舞われました。(写真に撮るの忘れました)

 

 おなかがいっぱいになったところで、ビンゴゲームの開始です。支援物資の中からお米やお菓子、カップめんなどが賞品として配られました。


 

 閉会式では、熊谷さんや災害対策本部の役員さんが表彰されました。子どもたちがつくったヒマワリの金メダルが胸に光ります。

 さて、大沢コミュニティの壁には、模造紙に書かれたたくさんの言葉が貼られています。これらの言葉は、避難所を出て親類の家に移っていく人などが、熊谷牛乳店や災害対策本部の方々に残していった感謝の言葉です。

 
 壁一面を埋め尽くす感謝、感謝、また感謝…。読んでいて僕は、涙が止まらなくなりました。

 
 温泉送迎の活動をしていて、悲惨な話を聞くことは何度かありましたが、涙は出ませんでした。それがどんなに悲しくつらいことか、僕の想像力は追いつきませんでした。あるいは僕は考えたくなかったのかも知れません。

 
でも今日は違いました。ここに書かれた言葉は、全身全霊で書かれた感謝の言葉です。その本気度が行間から伝わってきたのです。

 
紙一重で命が助かった人もいるでしょう。大切な人を喪った人も、全財産を失った人もいるでしょう。悲しみや絶望感、不安、苛立ち。寒さや空腹もあったでしょう。

 
震災当日の夜は、みぞれの降りしきる冷たい夜だったと聞きました。そこに差し伸べられたのは、地元有志による支援でした。ボランティアはおろか、自衛隊もまだ到着できない被災直後に、このコミュニティで何が行われ、何が語られたのか。どれだけのつらさから救われたとき、人はこれだけの感謝の気持ちを持てるのか。そんなことを考えているうちに、堰を切ったように想像が広がり、僕は一人で勝手に泣いていました。

 

 僕が大沢に「支援」にやってきたのは、避難生活が軌道に乗った後だったのでしょう。僕が出会った人たちは、もうすでに自分たちの助け合いで、危機的な状況を生き延びてきた人たちでした。自分がボランティアとして、被災者の方々のお役に立とうなんて安易に考えていたことが恥ずかしくなりました。

大沢の人たちに出会えたことは、僕にとって幸福なことでした。人に感謝するということ、人の助けになるということを考えるようになりました。それはきっと、自分の日常生活の中でも実践できることなのでしょう。自分の職業生活のなかで、給料プラスアルファの仕事ができたら、それが自分にとっての本当のボランティアなのかなと、今はそんなふうに考えています。

 

(登米ボラ・てっぺー)

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