8/7~9、歌津の「さえずりの谷」で子どもキャンプを開催しました。小学3,4年生と中学2年生の11名が参加し、電気も水道もない隠れ谷で、竹の食器をつくり、マッチ一本から自分の焚き火を起こすことから始まる「野営」を経験しました。

 

 

被災後、思いっきり自由に遊べる遊び場がなかなかなかった子どもたちは、街灯一つなく、虫と鳥の声しか聞こえない森に囲まれた休耕田の広場で、走り回り、藤蔓にぶらさがり、虫を取ったりカエルを追いかけて遊びました。火起こしでは、木材を削ってつくった小さな焚き木に火をつける難しさを体験したあと、杉の葉やガマの穂がよく燃えることに驚きます。夜遅くまでかかって、焼き板の名札を作りました。スタッフの助けなしに自分で火をおこしてみたいと思った子たちは、二日目に二度目の火起こしに自らチャレンジして、夕食を暖める焚き火の火種を作るのにも成功。

 

 

「明日までこのタンク1個ぶんしか水がありません。どうしましょう」

 

という問いかけから、工夫して食器を洗うことに挑戦。水は流しっぱなしにしないで、まず溜めてから洗う。水を使わない、フキの葉のふきん。灰(炭)をすみずみまでまぶして油と水分を綺麗にとってしまう、などなど。一日目は紙を使ったけど、二日目は紙さえ使わないでカレーを食べた後の片付けをしました。竹の串に刺したフレンチトーストを焚き火で自分で焼いて、調理の加減を学んだりもしました。

 

 

暑い昼間には、車で移動しての登米市の馬の足公園「どぼん池」でわらじを履いて沢遊び。ベッコウトンボが頭に止まっては喜び、数珠繋ぎになって水中を歩いて転んでは笑い、大きな魚を追いつめて逃がしては悔しがり・・・。淵の水が冷たくて、午後には肌寒さを感じるくらい涼しかった水遊びに、子どもたちは大喜び。

 

 

寝泊りした「さえずりの谷」は休耕田を遊び場にしようと、一週間ほどかけてRQボランティアがトイレを掘り、水場を設置し、森遊び・野遊びにつながるきっかけを作っておきました。子どもたちは、「ジャングル藪」と書いたヨモギ藪・ヤナギ林を自分で切り開いて、秘密基地を作りだしました。抜いたヨモギは、スタッフが燃やして「蚊やり」に。これが蚊取り線香の大規模くん蒸のようなもので、蚊やアブを撃退するのに効果大でした。

 

子どもたちの興味を引いたもうひとつの谷の秘密が、「くも仙人」。そこかしこに、仙人の訪れた痕跡があります。カエルを食べた跡? アブを手づかみで捕まえて板に釘刺しにした標本のお土産。「ここから立ち入るべからず」の「まむし沢」の看板。「わしもドラムカン風呂に入りたい」とのフキの葉に書いた手紙・・・。、二日目の夜は雨降りの夜、ろうそくを囲んで、森の住人たち(ヒメボタルやコガネムシやカモシカなどなど)のお話を聞いたあと、くも仙人を呼んでみました。すると、遠くから「ちりーん、ちりーん」と鈴の音。たいまつを手にして傘をふかぶかとかぶった、修行僧のような仙人が現われ、「おまえたちは誰だー」と問答が始まります。すっかりそのトリコになった男の子たち、スタッフが化けているのだろうと半信半疑の女の子たち。森に暮らす者の掟をいくつか語ったあと、仙人はガサガサ森の暗闇のなかへと消えました。

 

最後の日は、竹を使ってのお祭りごっこ。笹を立てたお神輿に飾りつけし、ボランティアが持ち込んだ太鼓・笛のお囃子でセンターまで行進しよう、というシンプルなアイデアでした。ところが、「ソラシソシラソファ」の三嶋神社大祭の通り囃子を吹いてみせたところ、「それ知ってる!」と子どもたちの反応。そこから、4年前のお祭りを思いだし、祭り化粧を正確に教えてくれる子、土のう袋のハッピの背に魚龍の絵を書き込む子、本神輿の担ぎ手は口に白い紙を咥えるのだと細かいところまで祭りを真似ようとしはじめました。スタッフも本気で祭り復興遊びに加わり、獅子舞をやったことがあるという子のために急遽段ボールと竹と木板で、口がカチカチ鳴る獅子頭を作成。お昼すぎまでかかって、全員がそれぞれの祭り具を担当する、お祭り行列が完成しました。暑い中、神輿を先頭にお囃子に乗せて獅子舞とふっかけ(花笠の踊り手)、ささら(楽器)、太鼓、と続きます。谷からセンターまで登りつめると、お母さんたちが待っていて拍手で迎えてくださいました。

 

 

短い期間で準備したキャンプでしたが、当日スタッフばかりでなく事前準備にそれぞれの技能を発揮してくださったボランティアの協力で、すばらしいキャンプとなりました。「あるものを最大限生かして創造する」というRQらしい、手作りキャンプだったと思います。

 

お神輿は、翌日の地元の大人たちとの定例の交流の夕べでも紹介し、子どもたちが思いのほか正確に祭りを覚えていたということを伝えると、みんなが改めて誇らしげな顔をしていました。神輿や獅子、衣装など祭具はすべて津波で失われましたが、モノが失われてもヒトの心に祭りが生きている限り、すぐにでもこういう形で復興への思いは表現できるし、この子どもたちがきっと復活した正式の祭りを担っていってくれる・・・そんな風に思いました。

 

by 歌津ボラ 蜘瀧(スパイダー) 

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